施術とその軌道

 

 体と手技は、その触れている面積に限らず、必ず双方が「一点対一点」で接している限りにおいて強い反応が起こります。これは双方の体の全ての動きや情報が、その一点を中心として起こるようになるためです(体にとって集中しやすい対象があるということ)。これに慣れると、マッサージのような大きな動き・刺激の中でも同様の感覚を維持しつつ刺激を与えることができるので、全ての施術に対する反応・効果が格段に増すことになります。「一点対一点」で接するという感覚は、最初は静止状態でしか成立しないものですが、慣れるとその一点の固定を維持したまま動かすことが可能になるので、傍目にはそうした固定を行っているように見えない施術であっても、内的には常にその状態を維持しつつ施術を行うことが可能となります。

 

 仮にその対象を固定する静止状態を「点」とすれば、そこから起こる動きが直線であるか、または均一な軌道を描く曲線である限り、体や脳にとってはやはり強制的な認識に繋がる強い刺激となります。これは施術における手指のさまざまな動きを、直線か均一な軌道の曲線に限定するという意味でもあります。ここに無駄な軌道や軌道のブレが生じると、途端にその効果も落ちてしまうものです。これはいわば「幾何学的な軌道を描く施術」ということであり、その軌道がキレイであればあるほど効果も高まります。もちろんその動きには「一定のリズム」も重要であり、その刺激が体や脳にとって「分かりやすいもの」であればあるほどいいということです。これはいかに自分の体に備わっている悪癖による影響を受けずに、体に自然な動き(自然な軌道)を行わせるかということで、術式などの「型」による訓練を除けば、施術における全ての所作を時間をかけて「丁寧に行う」ことで得ることができます。最初は非常にゆっくりの動きでしかできなかったものが、徐々に早く行えるようになり、いずれ意識しなくても自然に行えるようになればいいのです。

 

 私たちが行う施術というのは体にとっては「刺激」であり、それは同時に「情報」となります。その情報が無駄のない「キレイな情報」であるか、無駄な情報の混ざっている「濁った情報」であるかによって体と脳の反応は大きく変わります。そしてキレイな情報というのはその施術の内容を問わず、体や脳の機能を整える方向に作用し、逆に濁った情報というのは体や脳の機能を乱す方向に作用するものです。熟達した施術者が簡単な手技を行っているにも関わらず、それが大きな効果に繋がるというのは、その施術の「質」が高いからであり、その中身としてこうした刺激の善し悪しは施術の効果を大きく作用する要因です。また、施術の手技が「キレイな情報」であれば、それは体や脳の深奥へとすんなりアクセスできる刺激となり、体や脳を深い層から変化させることに繋がりますが、それが「濁った情報」であれば表面的な緊張=抵抗によって深部へのアクセスを遮断されてしまうので、表面的な効果に留まってしまうのです。