刺激に対する反応

 

 先に触れるということは「体の緊張状態に対する干渉」であると説明をしました。これは施術者側に特定の意図がなくても成立するものですが、これに施術者の意図を加えるといろいろな反応を得ることが可能となります。まず「一点を固定する」という触れ方は、全身または脳の反応を触れている局部に著しく集約させることができます。ただ、これにはその一点が3ミリ以内程度の範囲に絞られること、またその一点を固定して動かさないことが必須なので、最初はボールペンなどのモノを使って行った方がより実感を得られます。体はある一点を固定するように触れられると、その一点が「全身の中心(動かすことのできない一点)」と位置づけられることになるので、全ての反応がその一点を中心に、もしくは起点として起こることになります(空間内の固定座標として成立する)。これだけで全身の諸機能が、その一点を中心に再構築されるということです。

 

 これは先に説明した「体の静止」の延長となる話ですが、体はある一点を完全に固定=静止状態にするような刺激を受けると、それを無視することができず、その一点に影響を受けながらでしか機能することが出来ません。一定の精度を必要とする施術というのは、それが体に正しく認識されることで正しい効果へと繋がっていくわけですが、実際には「体が正しく反応してくれない」ということが多々起こります。体の状態によっては「反応する力がない」「反応できる状況ではない」ということも考えられますが、大抵はその施術という刺激を体もしくは脳が「重要な刺激」として認識しないことが大きな理由です。施術は「何かをすれば必ず反応がある」というわけではないので、重要なのはいかにその刺激に体と脳を集中させるかです(その結果として反応が起こる)。これは施術という刺激が体と脳にとって「鋭い感覚」であるか「曖昧(鈍い)感覚」であるかによって決まります。

 

 例えば「ボールペンの先で体のどこかを突く」という刺激は、体にも脳にも無視のできない侵襲性の刺激です(危険性を伴う刺激)。しかし体というのはこうした危機感の伴う刺激であるからこそ敏感に反応するわけで、施術も基本的にはそこに「危機感」に近い感覚が伴わなければなりません。この場合の危機感に相当するのは「精度」であり、手技の精度はそれが著しく高まると、それだけで体に「変化せざるを得ない」という危機感を生じさせます。もちろん施術には「触れられていて気持がいい」という逆の感覚もあります。しかしこれによって期待できるのは「緊張の緩和」だけであり、それだけで改善できる身体機能は僅かです。仮に手のひらで触れているだけであっても、それがある一点を中心に極度の安定状態を保つような触れ方であれば、そこには「気持いい」という感覚と同時に、その安定状態に対して体が強制的に反応せねばならないという「危機感」が伴うものです(施術者はその危機感を快感覚で覆い隠すことで受け手に感じさせないようにする)。