触れることと効果

 

 先に施術はその過程を脳に認識させるか否かが重要と説明をしました。手技はその内容が脳に認識されている限り、いろんな変化を引き起こすことが可能となります。手技はそれが「何を目的で行うか」以前に、「どういう意図で触れているか」の方が大きな意味を持つものです。ここでは単純に「触れる」ということについての反応について説明していきます。まず「手当て」に相当する単純に触れる行為について、ゲートコントロールシステムなどの難しい話は抜きにすると、そこには「干渉」と「安定」の要素があります。触れるということはそれ自体が刺激です。これは触れられている人はその触れるという刺激を無視できないわけで、ただそれだけでいろいろな反応が起こるものです。例えば頭痛を訴える患者さんに対して、施術に行き詰まり、最後には「ただ頭を触る」とする人は多いと思います。しかしそれだけで頭痛は楽になるものです。これは脳が一定の状態(それもギリギリの活動状態)で機能している時に、外から「触れる」という干渉を受けると、それまでの状態を維持できなることから起こる変化です。

 

 「触れる」ということはそれ自体が膨大な情報そのものです。「触れられる」側にとっては、それに対しての情報処理を行うというだけで、触れられた部位の安定を維持することが難しくなります。頭に限らず、ギリギリの緊張状態で機能している患部に対して、その機能的中心とも言える「支点」を指で触っているだけで、その部位が懸命に構築している緊張のバランスは崩れやすくなるものです(愁訴も軽減する)。体は、触れられた部位では情報収集のために感覚神経の働きが活性化します。感覚神経が活性化すると、それに応じて運動神経の働きも活性化するわけで(刺激には何らかの反応を行わなければならない)、結果的にそれまでの安定状態が崩れやすくなるのです。触れるという行為はそれ自体が体(特に触れている局部)に対しての強烈な「干渉」であり、良くも悪くも「触れている患部の機能を変化させてしまう」ということに繋がります。これは触れることを施術と結びつけてあれこれ考えてしまう施術者よりも、一般の人が行った方がその効果が強く出るものです。

 

 「安定」については「母の手システム」などの心理的な問題を抜きにして考えます。まず体が悪い患者さんに対して、比較的健康な施術者が触れた場合、これは「不安定なもの」に「より安定しているもの」が触れているようなものなので、触れることによって相互の情報交換が起こると、悪い人は楽になり、良い人は悪くなるという「平均化」が起こります。また施術者の体の方が悪い場合でも、触れ方に留意することで「よい触れ方」となれば、その「よい手」に対して体がより安定する反応を示すことになります(より不安定な患部に対して有効)。不安定な患者さんの体に対して、そこに安定の要素を多く含む「触れ方」をすれば、それだけで変化は起こります。しかしこの場合、相手が悪いなりの「強固な安定状態」を保っているようなケースでは、施術者の側にそれ以上の安定がなければ、逆に施術者の側が影響を受けて不安定となってしまいます。ただしこうしたことは意図的に施術に用いるというよりは、その人が持つ資質に頼る部分が大きい「水面下の効果」といえます。