体を壊さない施術

 

 ここまでの説明は「どういう施術を行うか」ではなく「どういう施術を心掛けるか」についての話でした。これは施術というのが体を整えも・壊しもする「諸刃の剣」であると考えるためです。マッサージのような感覚で行う施術ならまだしも、特定の組織に一定の変化を狙って厳密に行われるような施術には、こうした危機意識は重要だと思います。実際、そうしたことにそれほど意識を払わずとも、体は簡単に壊れたりはしないものです。しかしその多くは「施術が正しいから」ではなく、体による修正(自己修復)の働きが大きく作用しているものです。体は自身にとってマイナスとなるような刺激・変化についてはそれを拒絶します。仮に施術者がそうした「マイナスの施術」を行ったとしても、その殆どは体に拒絶され、結果として僅かな不調に留まる程度で済むものです。しかし施術の質が高まれば高まるほど、そうした施術による危険性は増すわけで、黙認できるような問題ではなくなってきます。

 

 マイナスの施術とは、その多くがその人の体の使い方が正しくないことに起因します。施術者本人は「真っすぐ押しているつもり」でも、実際には無意識の癖や体の歪みからそこに捻れが生じたりすることで、誤った力が伝わってしまえばそれはマイナスの刺激となってしまいます。これはよく練習で行うことなのですが、仰臥位で寝ている受け手に対して「足部を持つ(踵から掬い上げるように持つ)」ということを行うと、多くの場合は受け手の呼吸が抑制されてしまいます(呼吸がしにくくなる)。これは単純に「持ち方が悪い」のです。その人の体の状態に応じた「その人にとって自然な持ち方」でない限りは、体の機能にマイナスの影響を与えてしまうのです。「足部を持つ」という一見単純なことでも機能を抑制してしまうのなら、その人の行う施術は大抵が受け手の体の機能を制限してしまうものとなります。ただ、そうならないための救いは、受け手の体は施術によるマイナスの刺激を受け続けることで結果的に抵抗・拒絶の連続によって「活性化」し、自律的に相応の安定状態を作り出すことにあります。きつい言い方をすれば、下手な人の施術でも体の重要な機能に手を出すでもない限りはそれなりの結果に繋がるということです(適度に運動すれば誰でも体が少し楽になるようなもの)。

 

 ただ、こうした施術は無駄に患者さんの体力を奪ってしまうことになります。それでも「緊張が強く体力が有り余っているような人」の場合には結果的に「適度に力が抜ける」ことに繋がり、楽になることは確かにあります。しかし重篤な愁訴・疾病を抱え、余力のない人では致命的な問題に発展しかねません。そうした人にはこれまで説明してきた内容を踏まえ、僅かな体力をどう有効利用し、体の機能を段階的に正常化させていくか、そこに厳密な計算を盛り込むべきです。結果的に愁訴が消えればよしとする、一発勝負のような「一か八か」的な施術ではなく、そうした計算通りに施術が実践されることで、重篤な愁訴や疾病も「治るべくして治る」というが大和整體の理想とする施術です。もちろんそうした計算も、個人の脳内で行う限りは「どこまで正しく体の情報を把握しているか」という疑問が生じますが、そこは経験を積むことでしか補うことが出来ないものですし、施術の中に潜む危険性を排するという点では重要なことです。個人的にはこうした緻密な計算に基づく施術こそが「整体の優れた技術(芸術性)」なのだと思います。