体を正しく使う

 

 ここで最初の「施術の共感の有無」に話を戻します。ここまでの説明で「共感して行う施術」については僅かながらでもイメージができているかと思います。しかし「共感して行う施術」というのは「共感しない施術」と比べて、施術の中で非常に膨大な作業と情報の処理をしなければいけなくなります。その難しさは「共感しない施術」の比ではありません。また、共感して行う施術は常に相手の体に影響を受けることになるので、自身の施術を正しく行うこと、また正しく行えていると自覚することが難しくなります(相手の体の影響を受けて正しく行えていないことに気付けない)。それゆえに大和整體では最初に徹底して「共感しない施術=施術の型」を行っていきます。ただこれは「手技の中での共感はしない」ということであり、途中に「体の静止」を行うことで相手の体の状態は常に確認しておくものとします(途中途中で相手の体の状態を確認しつつ全体としては「共感しない施術」を貫く)。

 

 「共感しない施術」についての詳細は「術式一」として別に説明をしていますが、ここでは「自分の体を丁寧に使う」という程度に捉えておいて下さい。誰しも自分の体に無意識の癖が多く染み付いているため、知らず知らずのうちに「偏った動き(誤った動き)」を行ってしまっているものです。まずはそれを確認するように丁寧な体の動かし方を心得、体をゆっくりと動かす中で自身が持っている癖(悪癖)を出来るだけ多く自覚することです(これを意図的に消失させるのが術式一の役割)。これには同時に、自身の体の全体に意識を集中させるという意味もあります(自分の体の内部ではなく全体)。施術で相手の体を治すことに固執するあまり、自分の体がどう動いているか認識することを怠れば、それは既に相手の体に主導権があり、自身の体を正しく動かすことが出来ない状態ということになってしまいます。しかし逆に自分の体の内部ばかりに意識が行き過ぎれば、それは自身の体の内部の問題を増幅するようなもので、これも正しい体の動きに繋がらなくなります。

 

 私は指導の中でよく「世界は二つある」と説明します。これは体の「外側の世界」と「内側の世界」であり、体の外側の情報にばかり固執してしまえば内部の働きが疎かになり、自身の状態に応じて体を正しく動かすことができなくなります。また、内側ばかりに固執してしまえばそれはどこかで過剰となり、局部の問題を増幅させやすいもので、結果的に外側の情報の喪失と自身の体の正しい認識を損なわせます。基本は半々(五対五)が理想なわけで、状況に応じてその比率が変化することがあっても、半々の基準を保てることが理想となります。しかし私たちの日常生活はおよそ外側の世界(情報)ばかりが優位になっているため、自身の体を正しく感じることが苦手となっています。そのために施術においてはまず、自身の体を全身同時に意識しつつ丁寧に使うことを重視するのです(この段階では受け手の体に共感できないこともやむを得ない)。まずは自身の体の感覚を全身均等に充実させることが、外側の世界(施術においては相手の体の状態)を理解する第一歩であると考えます。