分かりやすい施術

 

 大和整體の施術はその内容が受け手にとって「分かりやすい」ことを重要視します(相手の意識・無意識に関わらず)。これは「説明的な施術」と言い換えることも出来ます。ある手技を行う際に、その手技が目的としていることを出来る限り受け手にも分かるように行う。例えばある組織間の癒着を剥がすとしたら、まずその癒着の違和感が強く感じられるようにその引き連れを際立たせ、それを剥がす際にも「どこをどう剥がされているのか」がなるべく分かるように行います。施術(手技)というのは施術者の意図優先で薦められがちになるため、そうした「受け手の感じ方」はあまり留意されないものですが、常に「相手がどう感じているか」を想定しながら施術を行うことで自然に「施術における共感」が強まっていくようになります。また、こうした施術に慣れてくると、手技に対して受け手の脳がどういう反応(処理)をしているかも読み取れるようになるので、施術を進めていく上で優位に立ちやすくなります。

 

 この分かりやすさには「施術を正しく行う」「体を正しく使う」ということが不可欠です。先に説明すべきは「体を正しく使う」ですが、仮に背中に真っすぐの押圧を行うにしても、それが本当にキレイな軌道・一定の速度で行われればそれは受け手にとって「分かりやすい力(脳が認識しやすい力)」であるものの、そこに不要な軌道のブレや捻れ、速度の変化が起こると受け手にとっては「不快な力」または「脳が認識しにくい力」となります。この「脳の認識」というのが重要で、施術者の体の動きが丁寧かつ自然なものであれば、それは受け手の体にとって「認識しやすい刺激=反応しやすい刺激」となるのですが、そうでない場合はその不安定要素が受け手にとって「体の機能を乱す刺激」となってしまうものです。この場合はどんな手技を行うか以前の問題で、その人が触れているだけで体の機能が乱れてしまうことになります(大抵の場合は体の側で自己修復をしてくれているので気付かない)。

 

 その上で「施術を正しく行う」ということになるのですが、これも先に説明したように、何をどうしたいのかが受け手によく伝わるような方法を選んで行います。必要に応じて「体にバレないような施術」が必要なこともありますが、その場合は表面的に別の手技を「感じやすい」ように偽装しておいて、水面下で意図した手技を行うことになります。施術の内容が受け手にとって分かりやすいというのは、その刺激が受け手の体(脳)にとって認識しやすい刺激であること。またその結果として手技の刺激を脳がどう受け取り、どう反応したかを掴みやすくなることに意味があるわけで、先の「動きの静止」にこれらが揃うことで初めて「共感して行う施術」が成立することになります。ここでは敏感な施術者が「感じよう」として行うような「過敏さ」は必要ありません。過敏さというのは無意識に自分の欲しい情報に偏ってしまう傾向があり、情報としては信頼性に欠けるものです。「正しい方法論と手順で然るべくして感じる」ということに意味があるのです。