施術は終わりまで行う

 

 ある部位の機能を改善しようと施術をした時、判断に困りやすいのが「どこで終えるか」です。ある程度機能が改善したらそこで終わればいいのか。もう少しやった方が効果が安定しやすいのか、などです。実際には「終わり時」などというものは経験的に掴んでいくしかないと思うのですが、大和整體では多くの施術方法についてそれぞれに「終わり」を設定しています。「この施術をやると○○の反応が出始めるので…○○になったら終わって下さい」といったことですが、この「終わり」という感覚を重要視します。ある部位の機能を改善しようと施術をし、一定の反応が得られたとします。しかし物事には必ず「終わり」があるわけで、終わりを決めるのは施術者ではなく患者さんの体です。これは全ての施術に適応できることではないのですが、感覚として留意しておいて欲しいということです。

 

 ある部位へ施術を行ったとして、そこでまず一定の反応が得られたとします(体がよりよい状態で安定した)。そこで施術を継続すると次の段階の反応が始まってしまうので、一度始めてしまえばそれが安定するまでは施術を終えることができなくなります。そこでまた安定状態に入ったとしても、さらに施術を進めてしまえば繰り返しになります。ただ、こうした「安定状態」というのをここで「一時的な安定状態」とすれば、その繰り返しはいずれ「体自身が維持できる安定状態」に達します。それ以上の施術の必要性を全く感じなくなる状態です(手の感覚でそう実感する)。この反応は施術による変化を体や脳が受け入れてくれた結果なので、体(脳)自らその安定状態を維持しようと働くことになります。それと比較すれば一時的な安定状態は施術者自身の感覚に頼った維持の可能性が乏しい「信頼性の低い安定状態」といえます。もちろんこんな施術を常に行っていたら、いくら時間があっても足りませんが、これを手に入れるために膨大な時間を費やしたとしても、必ず後々の施術に役立ってくれる筈です。

 

 加えて重要なのが「時間の短縮」ということです。例えばある部位の動きを(ある特定の方法で)「体自身が維持できる安定状態」まで持ち込めたとして、それに一時間を費やしたとします。あとはこの時間をどれだけ効率よく短縮できるかです。仮に一時間かけなければ出せなかった変化が十分で出せるようになれば(そしてそうした施術の方法論を数多く抱えることができれば)、傍目にはありふれた手技を行っているようでいながら、通常の施術では得られない特別な効果を得ることが可能になります。およそ熟達者の優れた施術というのはこうした濃密な施術によって得られる効果であり、僅か一分の施術の結果がそうでない者にとって数時間分の施術と同等の意味を持つことは珍しくありません(時間をかければできるというものでもないのですが)。長い時間をかけて「終わり」を見極める。そしてその終わりに至るまでの時間を短縮する。「質の高い施術」とはこうした背景があって初めて成立するものだと思うのです。