治せるものから治す

 

 先の「ケガの治癒」の例のように、体には大小さまざまな不調が潜んでいます。そして自然治癒が難しいような愁訴や疾病とは、そうしたさまざまな不調が体の持つ「機能的な余裕」の範囲を超えて表面化したものです。体は本来なら多少の異常を補えるだけの機能的な余裕を有しています。さまざまな不調がその範囲内に収まっていれば、仮に愁訴や疾病となってもそれは治癒しやすいわけで、治りにくい愁訴や疾病というのはいわば「体の全体機能の破綻」の結果です。これは長年使ってきた車があちこちにガタがきていても「普通に走ってくれる場合」と、「壊れてしまう場合」があるのと同じことです。車でも全体にガタがきていれば、壊れた箇所を治しても全体のバランスが崩れて別の場所が壊れやすくなったりするものです。体でも、一度その機能的なバランスが崩れてしまったものは、壊れた場所をどうこうしても元のバランスに戻すことは難しいわけで、そこに「治癒の難しさ」があるわけです。

 

 ただ、車と違って体なら「全体の機能の向上」を期待することができます。全体の機能が低下している状態で愁訴や疾病を治すことが難しいとしても、全体の機能が向上すれば愁訴や疾病の自然治癒が期待できるため、施術による改善もより容易になっていくわけです。こうした観点からみれば治すべきは愁訴・疾病ではなく「全体の機能の向上を損なっている機能異常」ということになります。もちろん愁訴や疾病を無視していいというわけではありませんが、愁訴や疾病に眼を奪われてしまうと全体の機能が見えなくなるものです。全体の機能を見ていれば、体の不調がどういう過程を経て愁訴や疾病に繋がっているかも見えてくる筈です。愁訴や疾病を治すことに拘ってしまうと、いくら施術を重ねてもなかなか効果に繋がらないことは多いものですが、体全体の機能の向上という施術であれば、一回一回の効果は地味でも、積み重ねることで体自身の治癒力を直実に向上させていくことができます。そして、こうした施術を積み重ねていれば先の「軽傷・中傷」が治癒することで、愁訴や疾病の元となっている「重傷」に相当する機能異常が表面化してくるものです。

 

 大和整體では施術には「悪い処を治す施術」と「良い処をよりよくする施術」があると説明します。ここでの「良い処」というのは、愁訴の当該部位など「悪い処」と比較した場合によく見えるということです。この場合の「良い処」と「正常な機能」とは関係ないわけで、厳密にいえば「正常に機能していない体組織は全て悪い」とする考え方です。重度の問題を治す(自己治癒させる)ためには、軽度・中度の問題を改善しておくべきであり、またそうしたことから施術における体の反応も向上していくことになります(同じ施術でもより高い効果が得やすくなる)。こうした理由からも施術は愁訴・疾病の内容に関わらず、体全体の機能を整えることを優先していきます。まずは体の全体の機能を損なっている種々の要因から、「悪い処を治す」ことが有効であるか、「良い処をよりよくする」ことが有効であるかを見極め、施術を進めていきます。たいていは重度の愁訴や疾病であるほど、「良い処をよりよくする」という施術の比率が高くなっていく筈で、その合間合間に「悪い処を治す施術」を効果的に取り入れていきます。