体自身の治癒力 2

 

 先に自然治癒力を「体力的な余裕」としましたが、これは体の諸機能が無駄なく働くことで得られる「機能的な余裕」です。仮に交感神経の過剰な働きに頼って日常を過ごしている人なら、交感神経の過剰な働きは相対的に内臓の機能を抑制するので、内臓の諸機能が損なわれます(この時点で体力そのものが大幅に低下している)。また交感神経に頼った強い緊張を伴う体の動きは、そこに無駄な力と動きを伴うため、余計な体力の消耗を招きます。ただこうしたことも交感神経の過剰な働きに伴う「感覚の低下」によって実感しにくい状態となっているので、本人にはほとんど自覚はありません。こうした体について、その機能を整え、交感神経の働きを段階的に抑制していくことができれば、これまでの「無駄に体力を消耗し続ける生活=常に体に疲労を伴う状態」が、徐々に疲労を蓄積しにくい体へと変わっていき、ある段階に達すると「体の諸機能に余力のある状態」へと至ります。この「余力」分はそのまま自然治癒力へと換算できるものです。

 

 これは言葉にすると簡単なようですが、実際には交感神経の過剰な働きに頼っている現代人にとって、その働きを一段階抑制されただけでも大抵の人は動けなくなってしまいます(常に強い緊張によって体を動かしていたため弛緩すると動き方が分からなくなる)。まず一段階、交感神経の働きを抑制したら(この時は副交感神経の働きも相対的に一段階活性化している)、その状態なりに動くことを学習する必要があります。これに慣れたらまた交感神経の働きを一段階抑制して…という同じ行程を繰り返すわけです。こうして段階的に副交感神経の活動を活性化させ、自然治癒力を段階的に発現させていくわけですが、これで愁訴や疾病が並行してよくなっていくというわけではありません。これは愁訴や疾病の根本的な原因となっている「根」が、どの段階の副交感神経の活性化で治癒するかによるためです。副交感神経の活性化は愁訴や疾病を治すために行うのではなく、いろんなものが治りやすい体へと変えていくための作業であると考えて下さい。

 

 これは「ケガの治癒」を例にすれば分かりやすいかと思います。例えば自転車でスピードを出した状態から転べば、全身あちこちに傷ができます。これを「軽傷・中傷・重傷」の3つに分けて考えるとして、まず最初に治るのは治癒に必要な反応や体力(血液循環による組織の破壊と再生)が最も少なく済む軽傷です(中傷と重傷も同じ程度には治癒反応が起こってはいるのですが眼に見えての変化はないということです)。そしてあちこちにある軽傷が治癒すれば、そこに割いていた分の血液の循環を中傷・重傷に集中させることができるため、残りの治癒反応は促進することになります。中傷が治れば重傷の治りもより早まります。人は誰でも分かりやすい愁訴や疾病の治癒を優先に考えますが、私たちの体には膨大な「僅かな不調」を抱えているものです。それらを差し置いて愁訴や疾病を治すという考え方自体が本来は不自然であり、治っていくべきはそうした「僅かな不調」からであり、そうしたものが治っていくからこそ、そこに余力が生まれ、本来が治癒が難しい愁訴や疾病を治すだけの力が体の中に蓄えられていくことになるのです。