体自身の治癒力 1

 

 手技療法ではよく「自然治癒力」という言葉が用いられますが、その働きは往々にして過小評価されているように思うと同時に、捉え所のない特別な機能だという勘違いがされているように思います。まず過小評価というのは、その機能が正しく発現されることがあまりに稀なため、中途半端な働きを以てその機能的な限界を量っていることが考えられます。自然治癒力というのが分かりやすく発現している例としては「小児の高熱」があります。簡単にいえば「子供は高熱による全身の殺菌によってその機能の回復(正常化)を図ることができる」というものです。高熱は必ずしも奨励すべきではないものの、ほとんどの場合において私たち大人ではなし得ない「身体機能の正常化」に繋がる理想的な自然治癒力の発現といえます。自然治癒力というのは、その発現が体の「部分」に限定されてしまえば充分な成果は得られないものの、それが高熱のように「全身同時反応」となった場合には、通常では考えられないような著しい治癒や回復へと繋がります(詳しくは野口先生の「風邪の効用」に譲ります)。

 

 この背景にあるのは「副交感神経の活性化」です。交感神経と副交感神経の働きは単純に「活動」と「休息(回復)」と捉えられがちですが、ここでは基本的な生命活動の全ては「副交感神経の働き」によってのみ補われ、交感神経の働きは緊急時にそれを補完するものと捉えておいて下さい。ここではその説明を「ほとんどの野生動物が狩りなどの「非常時」以外は緩やかな動きで日常を過ごす」に留めておきますが、これに対して私たち人間の活動は、過剰なまでに交感神経の働きに頼り、その結果として副交感神経の働きを大きく阻害してしまっています。体の生命活動は、その働きを交感神経に頼れば頼るほど低下し、本来の機能を損なってしまいます。こうした状態から得られる「自然治癒力」は僅かなものでしかなく、交感神経に頼ることで「壊れる分」に対して、とても「回復(修復)」で補うことができるものではありません。稀にそうした状態からも、一定の条件が揃うことで休息に副交感神経が活性化し、本来の自然治癒力を限界近くまで発揮できる「奇跡」といったことが起こりえます。しかし私たちが日常で感じている自然治癒力と、そうした奇跡的な自然治癒力の間に存在するはずの「正常な自然治癒力の発現」というのは見落とされてしまっています。

 

 自然治癒力を簡単な言葉に置き換えるとすれば、それは体の機能的な余裕=体力的な余裕(余力)となります。ただしこれは主観的なものではなく、あくまで身体機能の働き、そのバランスの中で生まれるものなので、本人が「元気と感じている」とか「体をよく休ませている」といった主観的な要素は意味を持ちません。「元気」が交感神経の働きに由来するものでは意味がありませんし、寝てばかりいるからといって副交感神経が正常に活性化するとも限りません。あくまで体の各機能が正常に機能していることが前提条件であり、その結果として生命活動で優先すべき「内臓機能の活性化」が常に維持されている必要があります。そのために重要なのは脳の不必要な活動の抑制であり、これにはその人の体の使い方、脳の使い方、感覚の使い方(物事の感じ方)など、多くの要素が関わってきます。例えば「体をよく休ませている」という人でも、その体・脳・感覚の使い方にはその人なりのクセはあるわけで、そのクセが交感神経の働きを活発にしてしまうものであればそこに体力的な余裕はなかなか生まれなくなります。正しい使い方を手にすることで「正しい休み方」ができなければ、いくら効率の悪い休み方を続けても体に余力は生まれず、副交感神経の活性化に伴う自然治癒力の発現を期待することはできません。