体は完全性を備える

 

 まず手技療法において重要となる前提条件は「体は完全性を備えている」ということです。これは「体は本来どんな異常に対しても自己治癒できるだけの機能を備えている」ということです。これには先天性の問題や事故などによる著しい外傷は含まれないものとしますが、そうした例外を抜きにすれば「体に治らないものはない」とする考え方です。これはもちろん手技療法の可能性を過信した乱暴な考え方ですが、ここを認めておかない限りは「○○は治らない」といった施術者の勝手な思い込みが介在してしまいます。実際に通常の施術者では手に負えないものを治してしまう「達人」の先生は存在するわけですし、また「治す」のは体自身が行う作業なわけで、施術はその手助けに過ぎません。私たちがその体の深淵なる機能を全て理解しているのでない限り、勝手にその機能の上限を定めるべきではありません(「手技療法では治せない」ではなく「現在の私の技量では治せない」なら○です)。

 

 これを前提として、大和整體なりの施術の考え方を進めていきます。実際の施術では肩こり・腰痛といった日常的な不調から、膠原病や重度の疾病といった難しい愁訴・疾病を抱えた患者さんが来院するわけですが、まずこれらに「軽度・重度」といった線引きは行いません。愁訴・疾病というのは「ただの結果」です。肩こりの患者さんが近い将来に脳梗塞を起こすような重大な機能障害を抱えていることもありますし、重度の疾病を抱えた人が、事前に諸々の条件が整っていることで僅かな施術から治癒方向へ向かうこともあります。また重度の疾病を抱えた人が、施術によって機能を正すことのできる要素を多く持ち、施術を重ねる毎に回復していくこともあれば、簡単に見えた肩こりが幾らやっても治りにくいこともあります(前者は疾病自体が単純な機能障害の累積による場合で後者は複雑な機能障害を背景としている)。

 

 肩こりと重度の疾病を同列に置くという考え方は異質と思われるかもしれませんが、これは肩こりを「直接改善しやすい愁訴」、疾病を「直接改善しにくい愁訴」と捉えているためだと思います。ちなみに大和整體の施術では多くの場合、愁訴の当該部位への施術は「禁止」としています。これは「愁訴=機能的に壊れている部位」は、身体機能のバランスの崩れから過剰に負担がかかっている部位とし、改善すべきは負担を増大させている別の要因と考えること。愁訴=結果ではなく、その過程となった原因そのものを施術対象とするためです。愁訴(当該部位)に囚われてしまっては、見えるものも見えなくなってしまいます。これらの理由から、身体機能を正常に整えるという点では肩こり・重度の疾病の間に施術の方針そのものを左右するような大きな差はないと考えるのです。体が正常に機能しさえすれば、そこに自己治癒できない肩こり・重度の疾病などは存在する筈はないということです(ただし体の正常な機能には本人の体への正しい理解も必須です)。