八 応用


 大和整体は、施術者の「個」を前提として基本的な手技(按法八療)をどう応用していくかが重要となる療法であることは説明しました。その中では必然的に「駆け引き」という要素が多くなってきます。行う施術が単純なものである以上、その出来(良し悪し)は扱う人によって大きく変わります。そしてこの辺りは「戦術・戦略」といった話となります。施術の技術を高め、これをどう活かしていくかが「戦術」であり、その戦術を活かすための大局的な施術の捉え方(作戦の練り方)が「戦略」となります。大和医学が武家に伝わる療法である以上、私はその考え方=背景に「戦」の概念があるのは当然だと思います。

 

 これを表すものとして、「按法八療」の用法としての「療伝の側」という考え方があります。療伝の側は「放射の側」「蝸牛の側」「末広の側」「並列の側」の四つからなるのですが、大和整体の「施術の組み立て」の基本です。放射は文字通り、全方向へ放射状に広がる力の流れで、それは拡散でも収束でもあります。蝸牛は螺旋方向への力の拡散と収束、末広は一方向に対する拡散と収束、並列は並列に並ぶ点での力の移動を表します。これを基本となる力の流れ(力のあり方)として、按法八療の用法として用いていきます。もちろんこれは「基本」なので、幾らでもその応用が利きます(戦での「陣形」などはそのよい応用例となります)。

 

 「個」を扱う以上、大和医学・整体の施術は「個対個」の駆け引きの中でしか成立しません。「これを行えば治る」といった正解はなく、相手の個と私という個の間に生じる関係性、これを前提として「互いの中でしか分かり得ない(成立し得ない)内容の施術」から、その効果が定まるのです。これを私は「人との会話と同じ」と説明しています。誰かと会話する時には「相手に合わせる」ことが基本ですが、時には「あえて相手に合わせない」ことが必要な時もあります。また相手の話していることが真実か否かの「虚実を見抜く」ことも重要ですし、時には「あえて騙す」ことが必要な時もあります。人との会話がこうした駆け引きなしには成立しえないように、施術もまた「対話=駆け引き」を抜きに語ることはできません。

 

 体は物質=モノです。これを、機械を扱うように「必要なこと(正しいこと)を行いさえすれば良い」と考えるのは間違いではないと思います。しかし体というものを「その人の意識と共生関係にあるもの」と捉えるなら「意識=体」となるわけで、体だけを別に考えることはできません。施術者なら誰しも「施術による体の大きな変化が意識の変化に直結する」という経験はあると思います。「意識=体」であるなら、意識の変化は必ず体の変化として現れ、体の変化は必ず意識の変化として現れるべきです(ここが分離していることが多くの愁訴・疾病の根本原因)。こうした考えを前提とすればこそ、そこに「施術において対話(駆け引き)は必然」となります。そうなると施術で重要となるのは「技術の高さ」以上に、「駆け引きのうまさ」となっていきます(技術の高さは最低条件)。

 

 仮に、技術の習熟によって「どんな対象でも自在にほどくことができる」となったとしても、それはただの「技術」に過ぎません。あらゆる知識を備え、常に最適解を提示できるようになったとしても、それで「誰しも納得させられる」わけではないのと同じです。そこには、それらを有効に活かすための戦術・戦略が不可欠となります。「ほどく」という作業も、状況によって「解くべき順番」があれば、逆に「ほどいてはいけないもの」もあります。「何をどういう順序でどういう風にほどけば体がうまく機能してくれるか?」。そこにその人の個=人間性が強く反映されることになります。

 

 ただ、実際にこうして体を解いていくと、そこに「定型的な道筋」も見えてきます。体の状態は十人十色であっても、その基本構造はみな共通です。それが正しく機能するほど、その働きは似通ったものとなりますし、間違うほどその働きの差異は大きくなります。つまり施術によって体の機能が一定にまで整ってくると、そこで生じる反応・機能に「定型的な正解」が見えてくるのです。そうした段階に至ると、体は自律的に正しい機能を選択していくようになります(自らの機能で良い方向へと向かう)。これを私は「ベルトコンベアーに乗る」と表現しますが、放っておいても体が良い方向へと向かってくれるようになります。

 

 そもそも、大和整体の施術観は「体自身に治させる」です。そのために必要なのは「体自身はどうしたがっているのか?」という流れ=ベクトルを理解することです。体は本来、常に「良い方向へ向かおう」と機能しています。実際にそうならないのは「そうした働きを邪魔する何か」があるためです(大抵は体を使うその人自身の意識(無意識)の誤り)。愁訴・疾病が治らず停滞しているように見えても、その内部には必ず「体が向かおうとしている方向性」があります。施術で「体自身に治させる」というのは、そうした「体自身のベクトル」の手助けをするということであり、施術で行うべきは「障害の排除」か「その後押し」のいずれかとなります。こうした施術によって「体自身のベクトル」が強まれば、そこかで「自身で治せるだけの力が戻る」となるのです。

 

 これは大和医学の経緯四行の一部となりますが、その人の体の現状の状態。これを「ある空間内でのひとつの座標」と捉えます。そして現状、体が向かおうとしている「次の座標」があるとして、現在の座標から次の座標を結んだ線が「体が目指す方向=ベクトル」です。ただそうしたベクトルは「現状の体なりの目指す方向」であることが多いので、修正が必要な場合は既存のベクトルから無理のない範囲で修正を加えます(向きを少しだけ変える)。そうして徐々に「体がうまく機能しやすい方向」へと誘導していけば、いずれは自力で良い方向へと向かってくれるようになります。