六 体術=部分の操作


 先に「全身が動く」ということは、各部の機能から「動かすべき部位」「動かすべきでない部位」を明確に定め、「余計な動き」という無駄をなくすとしました。これは「全身のすべてを動かす」ことを前提としつつも、各部に「動きの大小」という偏差を設けるということです。重要なのは「全身のすべてを動かせること」ですが、これを効率よく実践するために各部に「動きの濃淡」を設けるのです。「全身すべてが等しく動く」というのは、それはそれでひとつの理想ですが、その動きを制御する「脳」にとってみれば一概に良いこととは言えません。

 

 「脳」が体の動きを管理・制御する時、すべての部位が等しく動いてしまうと、そこには脳が体を管理・制御するための「基準」がありません(すべてが「動」であるため)。そこで「体幹はあまり動かさず手足を」とすると、それは「体幹を基準として手足を動かす」という意味となります。私たちの体というのは「静と動」で成立しています。これは「感覚神経と運動神経」に置き換えても同じです。「自身の体がどういう状態にあるか」を正確に知るには、体を静止(静)させれば分かります。静止により「運動神経」の活動が抑えられた結果として「感覚神経」の活動が活性化するからです。そうして「自分の体の状態が分かった」となれば、そこから行う「動き」も比較的正確なものとなります。逆に「動」の状態ばかりが長く続くと次第に間違い(誤作動)が増えるのですが、そうした場合はまた「静止」に戻れば感覚を正常化することができます。「動いて・休む」の繰り返しという、動物にとっては当たり前のことです。

 

 ただ、これには「中間」を設けることも可能です。全身が動いている最中に「ここは動寄りに機能させる」「ここは静寄りに機能させる」という差を設けるのです。仮に「体幹を静寄り」「四肢を動寄り」とさせたなら、体幹側では感覚神経が相応に活性化できるので、動きの中でもある程度の状態把握が可能です。そしてその情報を基準として、より四肢を正確に動かすことができます。実際に古い武術などでは「体幹を動かさずに四肢を動かす」という動作は当たり前となっています(姿勢を崩さずに動く)。

 

 ここまでが「全身を動かす」ことの中身だとすれば、次は「部分を動かす」です。私たちが「紙に文字を書く」という時、誰しも「字を書く側の腕」以外のすべてを静止させます。腕以外の全身が静止していればこそ、そこを「基準」として残る腕を正確に動かせるからです。これと同じことを、先の「全身をひとつにまとめた状態」から実践します。今度は体のどこかを「意図的に止める(静)」のです。動きの中でどこかを静止させることの利点は「力の発揮」と「力の制御」という二点です。体は各部が等しく動いてしまうと「全身の繋がり」という点では強い力を発揮することができますが、そこで可能となる動作は常に周囲の動きと絡む「相対的」なものでしかありません。「動物的な動き」という点では理想であるものの、「文字を書く」といった正確な動作は望めないのです。

 

 「体のどこかを止める」ということは、そこが全身を動かす際の「基準」になり得るということです。その静止が絶対的なものであるほど、その基準も信頼できるものとなります。これは先の「動物的な動き」に対して、意図的な操作を行う「人間的・理性的な動き(体の使い方)」です。どこかを止めるということは、その静止を土台に次の動きに強い力を伴わせることも可能です。単純には「左半身を静止させて右半身だけを動かす」とすれば、左半身を強固に固定して「安定した土台」とし、その土台から右半身は強い力を自在に発揮することができます。この「止める(静止)」は、どこかの一点でもどこかの範囲でもよく、これをうまく使うことで「強い力」と「正確な動き」の双方を実践することができます。

 

 こうした動きは、特に「対人間」に対して非常に有効です。例えば相手に腕を掴まれた時に、これを腕で振りほどこうとしても、相手の力が強ければなかなかほどけません。しかし腕を動かさず、腕から遠いどこかから力=動きを発して、その力を腕に伝達させると、割と簡単にほどくことができます。私たちは対人の場合、「相手の動き」に合わせて動きます。それが「握っている腕」から発する力や動きであれば、それを正確に読み取り反応することができます。しかしこれが「別の遠いどこか」になると、腕自体には何の変化もないのに「結果として腕が動く」となるので、うまく反応(対応)することができません。こうした方法は「武術の達人」と呼ばれる人が多用する方法ですが、施術でも「手技=刺激の出所を読ませない」という方法で非常に有効です。

 

 体の動きというのは、それを管理・制御する脳にとって、単純であればあるほど「無駄がない動き」となります。そのためには目的とする動作をいかに単純化するかの工夫が重要です。そしてこの「無駄がない」ということは、全身の力をより有効に使う(強い力を発揮する)ことにも繋がっています。これが「動物的・自然な動き」であるとすれば、そこに意図的な操作を加えることで「動物的・自然な動き」の性質を有しつつも、より複雑・正確な動きを行うことも可能です。そしてこれらは相反するものではありません。「体を全体として使う」ということは重要ですが、「部分を思うように動かす」ということは、その部分をより繊細かつ正確に動かすための訓練でもあります。そして体のあらゆる「部分」を繊細かつ正確に動かせるようになるということは、結果的に「体の全体をより繊細かつ正確に動かせる」ということに繋がっていきます。互いが互いの機能を補完しつつ、結果的に全身の機能を向上させていくことができるのです。