二 大和医学の背景 |
何かに名前を付けるということは、それまで「五感のすべてを使って認識していたもの(認識し続けているもの)」に、便利な「ラベル」を貼り付けるような作業です。これはある人と仲良くなった時に、そこで「名前を知っている」or「名前を知らない」では、その理解に大きな差がでると書けば分かるでしょうか。「名前」さえ定まっていれば、その名前というラベルに次々といろんな言葉を貼り付けていくことで、その人の印象を固定することができます。しかし名前を知らないだけで「あの白い帽子の人」とか「物腰の柔らかい人」といった、様々な印象を用いてその人をイメージせねばならないわけで、その時の印象というのは常に流動的なものとなります。「名前」というラベル付けは便利ですが、その過程で失われてしまうものは多く有ります。名前というのは「対象全体」の一部を特定するものであり、決して対象全体を表すことはできないからです。
加えて、技術の伝承が「一子相伝」であれば、そこに言葉は不要です。一対一なら「あれ」「これ」ですべてが足りてしまうからです。言語化というのは、一対多数において大きな意味を持ちます。言葉=名前による「共通認識(約束事)」があればこそ、複数の人間で様々な事柄を共有できるからです。ただしそうした理解は総じて「浅く広く」となりやすいものです。言葉(名前)を介さず、感覚的ものを感覚のまま伝える(深く狭く)。それでしか正しく伝わらないものは多いわけで、それ故に正確な伝承には「一子相伝」という環境が不可欠となります。
冒頭でも書いたように、大和医学は「用食療法」「用薬療法」「用体療法」「用具療法」の四種で構成されるのですが、この順序はそのまま重要性や優先順位でもあります。体の働きを「食」で整えることを最良とし、次に「薬」、それらで不足な場合に「体=体を用いた療術」や「具=道具を用いた療術」を行うと考えます。ちなみに、用薬療法の「薬」というのは生薬限定となります。師曰く、中医学は生き物の死骸(植物や動物の死骸)を使うが、そうした生き物というのは死後に「毒」を発するのだそうです。大和医学ではこの毒を避けるべく、鮮度の高い生薬のみを用いるとのことでした。ただしそうした生薬の素材も、現在では殆ど手に入らないと師は嘆いておりました。
こうした理由で私は大和医学のうち「用薬療法」を教わっていないのですが、これは「用具療法」も同様です。用具療法について、師は殆ど言及しませんでした。恐らくは中医学の鍼灸を筆頭とした道具を用いる諸々の手法なのだと思うのですが、師がそれを行う姿を見たことがありません。師はとにかく「食」を重視しており、それで「治す」ことを最良としていました。「薬=生薬」が手に入らない現状では、「食」とそれを補う「体」、この二つで大抵が事足りていたようです。実際に師の施術(用体療法)は私からすれば「異次元の完成度」であり、「体」でできることの幅が「具」より遥かに多かったのだと思います。これはもちろん「具」を用いた施術を下に見るということではありません。師が「体」を得意としていたのだと思います。こうした理由から、私に話すことができるのは大和医学のうちの「用食療法」と「用体療法」に限られるのですが、その話に入る前に少し遠回りをさせて頂きます。
療術に限らず、武術などでも同時代から継承されている「名前のない技術体系」というものは複数存在します。そしてそのどれもが、似たような年代から発生しているという不思議な共通点を持ちます。なぜその年代に多くの技術体系が揃って確立したのか? ここからは私の憶測となるのですが、そうした年代というのは「武家が力を持ち始めた時代」となります。それ以前の長い歴史の中でも、「才ある者から生まれた優れた技術体系」「長い年月をかけて練り上げられてきた技術体系」は数多くあった筈です。しかしそれらは大抵「個(個人)」に依存する者だったのだと思います。これは「野」と言い換えても同じことですが、そこらに「すごい人」はいたのでしょう。これが「武家」が成立し、そこに多くの「力」が収束するようになると、武家はこぞってそうした「野の才人」を集めた(抱えた)」のだと思います(あらゆる才を集めることで武家の力を強める)。そこでそれまでの「野にあった多くの才」が、武家という組織に守られ、より明確な「形」を成していっただと思うのです。用食療法なら「食の才に秀でた者」、用体療法なら「体を扱う才に秀でた者」というわけです。
優れた技術というのはもともと「才ある者の独特な感覚」に依存しているものです。これを「多くの人間に伝える」ならば、言語化による知識の共有は有効ですが、それは「浅く広く」としかなり得ません。正しく伝えるためには一対一という環境の中で「感覚的なものを感覚のまま伝える(言語化は必要最低限に留める)」ということが不可欠となります。これは技術の継承が一子相伝でなければいけない背景でもあります。ただそれも先代までの話で(師の代までは「口伝」のみで伝えてきた)、師はこれらを「遺す」ために、可能な限り口伝の内容を文章化してくれました(これは書籍「原初・大和医学」の中に纏められています)。 |