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 大和整体は”人(ヒト)を変える”ための整体療法です。体と意識は密接な繋がりを持つので、体が変化するということは、それが正しく行われる限りにおいて、必ず「意識の変化」へと反映されます。体が変わることで意識も変わる。その意識の変化がまた体に新たな変化を与える。こうすることによって、本来、体だけの変化では得られない「その人そのものの変化」を引き起こすこと。これが大和整体という療法の目的となります。

 

 そのために重要なのは「体と仲良くなること」です。体は「治し方」を追い求めてしまうと、そこに必要なものだけを得ようとしてしまうので、多くのことを見落としがちになります。「治す」ではなく「体自身に治させる」ためには「体の中で何が起こっているのか?」「体自身はどうしたいのか?」といった「体の事情」を理解する必要があります。そしてその理解は、施術を通じて得られる”手の実感”の中から生まれてくるものだと思います。

 

 施術というのは、頭が先に立ってしまうと「自分の見たいもの」しか見えなくなるものです。これを「まず触れて感じる」として、感じたものに対して自然に体が動くに任せる。体というのは私たちの意識より、常にずっと多くのものを感じ取っているわけで、体が自然にやることを意識は後追いするだけでいいわけです。施術においては、頭はそれほど賢くなく、体は遥かに賢いものです。こうした経験の積み重ねが「手の実感を以って体を理解する」ということに繋がり、体と仲良くなることに繋がっていくのだと思います。

 

基本の第一段階

体を確実に”変化”させる
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 整体は体の機能を整えることで愁訴や疾病の解消を図る療法です。しかし「整える」という施術から、体の機能を一時的にではなく、確実に変化させる(それまでと異なる状態へと移行させる)ことは難しいことです。これを確実に行うために、大和整体では既存の(誤った)機能バランスをいったん「壊す(崩す)」ことで、体をよりよいバランスへと確実に変化させます。そこで重要となるのは「体をモノとして扱う感覚」であり、これを実践するのが大和整体の”按法八療”という手技です。また、既存のバランスを確実に壊すことから起こる体の諸々の変化、これに数多く経験し、熟知することが「体の仕組みを体感的に理解する」という、以後の施術観・身体観の重要な基盤となります。

基本の第二段階

変化と整えることの両立

 既存の機能バランスを壊すことから得られる体の変化は、最初は壊した後の作業のほとんどを体自身の修復機能に頼ることになります。これは必ずしも正しい方向の変化になるとは限らないうえ、体自身の負担も大きいものです。よって、ここで必然としての「整える」ことの必要性が生じます。これは「壊した後の改めて整える」や「整いやすいように壊す」といったこととなります。これにより、体に大きな負担をかけることなく大きな変化を引き起こすことができるわけです。こうした施術を重ねるということは、それがそのまま「段階的に体の機能が向上していく」こととなっていきます。

基本の第三段階

体に合わせて施術する

 体の機能を確実に変化させること、その変化に整えるという要素を盛り込み、無理なく大きな変化が可能になること。この双方の積み重ねは、体自身の自発的な活動を著しく強めることとなります。その結果として、施術における体の反応はそれまでの機械的な反応から、ヒトそれぞれの個を強く反映したものへと移り変わっていきます。こうした「個の反応」に施術の内容をうまく合わせていくことができれば、体の奥底に隠された諸々の問題や異常を引き出し、扱うことも可能となります。これは施術の主導権が施術者側から、体(相手)側に明確に移行するということで、これによって本当の意味での「体自身に治させる」という施術が成立することになります。

基本の第四段階

体を多面的に統合させる

 これまでの工程によって体の機能が一定以上に整うと、体の機能はそれまでの複雑に絡み合ったものから、素直で単純なものへと変わっている筈です。こうした状態では体の諸機能が統合しやすくなるので、何らかの基準によって体の機能を統合させることで、機能での安定を図ることができます。そしてこの機能の統合というのは「何を基準とするか」により様々な形があります。単純な統合から複雑な統合まで、多種多様な統合を体に経験させることは、体自身に「いろいろな整い方」を経験・学習させることとなるので、こうした経験を経た体というのはその機能的安定を維持しやすくなります。体の統合とは、いろいろな種類の統合を多面的に経験・学習させることで、その都度の状況に即した対応が可能になり、簡単には崩れない体となるわけです。

基本の整理

基本の段階の深化

 体の不調というのは十人十色で、そこには大きな「濃淡」の差があります。その背景にあるのは「機能の複雑化の程度」です。体はその機能が複雑化しているほど「治りにくい」わけで、それほど複雑でないというヒトに限っては、「基本の四段階」で対応していけることと思います。しかし機能の複雑化が著しいケースでは「扱いきれない」ということも多いわけで、その場合の対応は「基本の段階の深化」となります。仮に一段階から四段階までを順に習得して、そこで「治せるものの程度」が定まったとします。しかしそれは出発点となる「第一段階の施術の技量」が、のちの二段階、三段階、四段階に反映された結果なの、そこで第一段階の技量をさらに深化させることができれば、そこで「治せるものの程度」、その上限も変わってきます。