体を単純に捉える

 

 私たちが体を整えようとすること(治そうとすること)の難しさは、その対象が体であっても、そこに「人の意識」が介在すること(単純にモノを扱うようにはいかない)ことと、その体がモノとしても「複雑極まる仕組み」を持っていることの二つに尽きると思います。そもそも体を含めた「人の仕組み」というのは私たちの脳の働きの中では「捉えきれないもの」であり、これを前提とした上で治療や施術を行うしかありません。その中で私たちが人を、体を理解しようとするのに有効だと思える方法論は「自然界の仕組みに倣う」ことだと思います。

 

 人は原始的な生物から進化を重ね、いまの姿と機能を手に入れたわけですが、私たちの体というのはそうしたものの延長上にあるものです。人間が他の生物と全く違う生活行動をしているかといって、人間独自の健康法や治り方を模索するというのは、そうした方法論があること自体は大切であるとしても、そればかりに終始してしまうのでは生物としての基本的な道筋からは離れているのだと思います。人の根っこは所詮「獣」です。獣が少し賢くなった程度であり、その仕組みに大差はありません。いくら高度な社会生活を営んでいるとは言っても、その完成度は「昆虫の世界」の完成度には遠く及びません。私たち人間が他の生物に比べてどれだけ優れているかといえば、そこは怪しいものです。

 

 私たちの脳と体の機能、その進化は、他の動物では考えられないほどに複雑な作業を行うことを可能にしてきました。しかし施術の中で人に触れていると「その複雑さ故に壊れている」といった印象しか持ち得ません。人は生きるだけなら単純な機能だけでも生きられます(獣と同じ生活)。そして、実際にそうした生活に順応できるのであれば「楽」に生きることができるのだと思います。しかし実際には、いまさら「獣の生活」には戻れないわけで、そこにジレンマが生まれます。施術をしている中で体の機能が整う。それに従い脳の機能も整っていき、その結果として次第に意識も安定した状態になっていく。そうした中で、それまで心身の中にいっぱい詰まっていた「余計なもの」が次第に消えていくと、どこかで「原点に立ち返る」といった状態になります。いろんなことに囚われて、自分が何をしているのか? 何をしたいのかがよく分からない状態になっていたのが、ふと「腑に落ちる」。冷静になるとでもいうのでしょうか? それで何が解決するわけでもないのですが、ただ「一息」つくことができる。すると「自分の原点はここなんだな」と何となく感じて「楽」になる。不安定が安定に変わる瞬間です。

 

 動物というのは「本能」で生きていますから、「快・不快」の感覚に敏感です。だから生活行動は「快感覚」を基準として行われる。だから周囲の状況が許す限り、無駄に動かす「やすむ」ことに徹しています。それが下手なのが私たち人間で、病気になろうが「やすむ」のではなく「何かすれば治る」と、とかく行動することで物事を解決したがります。「うごく」と「やすむ」のバランスがとれず、動き続けることで自分で自分を壊してしまう。生物本来の「自然なあり方」に従ってさえいれば、それほど愁訴や疾病に悩まされるということもないはずなのですが、それができないことが全てを複雑にしているのだと思います。

 

 では「やすんでさえいればいいのか?」と聞かれれば、それも違うと思います。「何のためにやすむのか?」は重要で、肉食の補食動物ならそれは「狩りのため」。草食動物なら「補食といざという時逃げるため」です。生きている以上、何らかの活動はしなければならない。そしてその活動は中途半端であるよりは、目的のはっきりした質の高いものであった方がいい。人ならなおさらです。しっかりした目的を持っている人というのは、日常で高い集中力を発揮するものです。体というのは集中の中でのみ機能が高まるもので、そこで体も活性化することになる。集中なき行動に活性化はありえません。だからそうでない時はしっかりやすむ。いざという時のためにしっかり力は蓄えておく。「緊張と弛緩」、「減りと張り」です。

 

 また、脳の思考というのも「活動」です。体さえ動かしていなければ「やすんでいる」と考える人が多いのですが、脳が働いていれば体は常に準備状態としての緊張をしているものです。そもそも思考というのは行動するために行うものです。「1」考えたら「1」行動するというのが基本で、これで差し引き「0」になります(頭の中が空になる)。これが「考えて考えて…行動しない」となってしまうと、思考が頭の中に残ってしまうので止まらなくなります。動物は「考えて行動したら忘れる」というのが基本であり、それでこそ脳はやすむことができます。思考したらそれを行動することで消し去る。これも生物界では当たり前のルールです。こうした「獣の理屈」のような考え方で誰しもが健康になれると考えるわけではありませんが、人が健康になるための「信頼性の高い一つの方法論」であることに間違いはないと思います。人の仕組みを解き明かそうと複雑な理論を並べるよりは、「人は所詮獣(の延長)」と簡単に考える方が、ずっと気楽に人の体を扱うことができるのだと思います。