弛めると整える

 

 手技療法で大抵の人が最初に覚えるのは「筋肉の弛め方」です。これは体の不調のほとんどが筋肉の過剰な緊張によって起こっている点を思えば当然ですし、入り口としては入りやすい対象でもあります。ただ、その対象が筋肉であれ、関節そのものであれ、弛めるということはその結果として「体が正しく機能することを期待する」ということが前提となっています。これまでも説明してきたように、体はどんな緊張であってもそこに「何らかの理由」が存在します。よってこれを闇雲に弛めることは一概に正しいとは言えないのですが、全身に生じている緊張には「誤作動」も多いわけで、その場合は緊張を弛めることによって機能が正常化しやすくなります(本当に必要な緊張なら弛めてもまた戻る)。

 

 実際に患者さんの多くは、緊張を弛めることで身体機能が正常に近づき、愁訴なども治ることは多くあります。これは誤作動による緊張(その持続)から正しく機能できなくなっていた身体が本来の機能を取り戻した結果ですが、それだけでは正常化に至らない身体機能も多くあるものです。ある一帯が一定以上に弛むということは、その部位にとって「弛んだことでその機能を正すか」または「これまでと同じ緊張を行うか」といった選択肢が生まれることになります。仮に誤った機能が長期間維持されていたような組織では、すぐに本来の正しい機能へと復帰することが難しいことも多く、その場合は「元に戻る」という選択の方が自然となってしまうのです。この場合は「弛める」こととは別に、施術によって「整える」ことでその機能回復を補助しなくてはなりません。中には幼い頃の時点で誤った機能へ陥っているような人もいるわけで、そうした場合には「弛める」というだけでは大きな効果を期待することは出来ません。

 

 これらを前提として、大和整體ではその施術を「弛める」ことと「整える」ことに分けて考えます。こういう書き方をすると「弛める」というのはより簡単な施術と思われがちですが、厄介な機能障害を整えるためには先に弛めてから行う方が効率がいいわけで、そこでは「どんな対象でも確実に弛めることができる」ことが必須になってきます。より重要なのは「確実に弛める」ための施術であり、これまで説明した「術式基本四種」はこの弛めることに特化した内容となっています(応用四種は整えるための施術)。ここでは「弛める施術」は、その誤った機能をいったん解除するという意味になるので、感覚的には絡まった糸を「解く」ような意味合いとなります。そして「整える施術」は、ただ構造的に機能を正せばよいのではなく、正しい機能を脳に覚えさせる(認識させる)までを必須とします。よって施術はそれがどんな内容であっても、必ずこのどちらを目的にして行うかを常にハッキリとさせておく必要があります(慣れれば解きつつ整えることも可能)。