閉鎖系と解放系の区分

 

 術式一から三までは基本的に「体を閉じた状態で行う施術」であり、これをここでは「閉鎖系の施術」としておきます。これとの対比となるのが「解放系の施術」で、術式四はこれに相当します。一般的に施術の基本である「局部の緊張を弛める(それによって全身も弛める)」ということは、「体を緊張から解放する」というイメージだと思います。しかし実際に基本の段階で行うのは「閉鎖系の施術」となるので、若干の違和感があるのではないかと思います。しかし「緊張を解放する」ということは、問題と思われる局部のみを対象とした場合の印象であり、実際の体は全身で緊張と弛緩が混在するそのバランスで成立しているものです。よってただ緊張を弛めることに大した意味はなく、あくまで緊張を弛めることによって他の弛緩している組織を適度に緊張させるという「バランスを整えること」に意味があります。そのためには「閉鎖系の施術」によって受け手の体も全身が均等な状態とし、全身へ同時に反応が起こりやすい状況を作りす必要があるのです。

 

 これに対して「解放系の施術」というのは言葉通りの「解放」であり、ただ対象となる局部を一方的に弛緩させる施術です。この局部的な弛緩に対して、脳が全身のバランスを保ために身体各部にいろいろな命令を送り、全身に施術に関わる反応が起こったとしても、それは先の「閉鎖系の施術」の反応とは根本的に異なります(直接的な反応ではなく間接的な反応となる)。これが「解放系の施術」を用いる際の注意点であり問題点なのですが、解放系の施術の弛め方というのはそれまでの体のバランスを「壊す」といった種類のものです。不調を抱える人の体が誰しも「相応の緊張」によって成立している(守られている)限り、その体の局部に対して「解放系の施術」を行うということは、そこに「穴を開ける」ことに等しい作業です。本来は無闇に行うべき事ではありません。実際に解放系の施術を行ったところで、私たちの行う施術程度に体が簡単に壊れる筈もないのですが、それは「身体機能の相応の余裕がある人」に対して言えることで、そうでない人では簡単に壊れてしまうことも起こりえます。こうした理由から、基本的に「閉鎖系の施術」を優先的に行い、それだけでは改善の難しい局部に対して「解放系の施術」を用いるというのが基本的な施術のあり方だと思います。

 

 解放系の施術の扱いについて色々と煩く書くのは、これと類似のものが誰にでも簡単に扱え、体に対して大きな変化を引き起こせるためです。類似のものというのは「触れる程度の力(弱い力)で行う施術」であり、これほど簡単に人体に大きな影響を及ぼせる手技はありません。その理由は弱い力が「体の抵抗反応を引き起こす事なく一方的に体を変える方法」であるためです。それゆえ、触れる程度の力を多用する療法が多く存在します。こうした「弱い力」を用いることよって実際に素晴らしい効果は多々起こりえます。これらを否定するつもりはないのですが、こうした「弱い力」を用いた場合の問題点は、その反応が体のあらゆる機能に対して、多岐に渡って作用してしまうことにあります。こうした作用が体にとってよい方向に作用する分にはいいのですが、逆に悪い方向に作用した場合、その反応が多岐に渡りすぎているため、正しく修正することは不可能に近くなります。つまりは施術者の技量は制御を離れたところで多くの反応を引き起こしてしまう「便利な力」というわけです。

 

 こうした理由から、大和では「弱い力」は術式の一から三までを正しく使えるようになり、自身の体を制御できるようになった「安定状態」を前提としてしか使うべきではないと考えるのです。そうでない状態で扱うには自身の体にも相手の体にも危険性が高すぎます。自身の体を制御できている限り、安定度を保てている限り、また制御や安定を失ってもそこから回復するだけの身体感覚や回復力を有している限りにおいて、比較的に安全に使うことが許される種類のものだと考えるのです。こうした条件さえ整っていれば、解放系の施術を単独の「便利な施術」と捉えるのではなく、術式一から三の延長として存在する体の操法と位置づけておけば、危険を感じた時点で「閉鎖系の施術」に切り替えてそれを回避することができますし、双方を組み合わせることで「純然たる解放系の施術」ではない「制限付きの解放系の施術」などとして利用することも可能となります。厳密にいえば術式四を「閉鎖系の施術の応用」と捉えている時点でそれは「純然たる解放系の施術」ではないということです。純然たる解放系の施術は、やはり熟達した施術者のみが使うべき領域であり、そうではない者が安易に用いてよいものではないと考えるのです。