体の一切を止めない

 

 これまでの術式は体の静止=固定を前提としてきましたが、術式の四はその逆である「体の一切を固めない」ことによって行う施術です。これまでの体の操法はその全てが「全身の関節を制御する」ということを前提としてきました。これは施術における体の主導権が「受け手の体」ではなく「施術者側の体」にあるということです。施術そのものは「受け身」であるとしても、自身の体の主導権自体は常に保持してきました。この「自分の体」の主導権を放棄して行う施術が術式の四となります。簡単には「全身の弛緩」ということもできますが、普通に弛緩をしたのではそれを全身均等とするのはほぼ不可能ですし、また施術=動くということともかみ合いません。あくまでこれまでの術式の延長として「体の一切を止めない」という施術があります。

 

 これはまず術式の一で全身を固め、それに慣れていくことで同じことを僅かな力でも行えるようにします。次いで術式の二で肘から先の「手部」の動きを訓練し、本来の動きを取り戻します。術式の三になるとその応用で、こうした過程を経ることで、体は術式一と二の操法を、ほんの僅かな力を込めるだけでできるようになっている筈です。直接的な表現を用いれば「日常動作と同じ感覚で体の操法を実践することができる状態」ということです。そうした中でも「関節を構成する二つの骨の位置関係」は明確に把握・制御しているのですが、これを全身の関節で「均等に解く」のが術式の四の体の操法です。通常の「体の弛緩」と違うのは、それが「全身で均等に制御された弛緩」であることです。

 

 この時、骨同士の位置関係の制御を解いているわけですが、この「解く程度(関節の遊びを入れる程度)」を全身の関節で均等にすることで、全身に均等な弛みの状態を作ります。この状態では体の動きを制御することはできなくなりますが、そこに起こることをほぼ正確に把握することはできます。全身の状態を、関節からの情報を通じて常に把握し続けることを前提とした「全身の弛緩」なのです(厳密には本当の弛緩ではないということです)。もちろんこうした体の状態からは複雑な施術を行うことはできません。可能になるのは「触れる・捕まえる」といった程度の内容です。しかし関節に「制御された僅かな遊び」を残すことで、通常では感じ取れないような「身体内部の僅かな変化」も感じ取れるようになるのです。

 

 関節の遊びを消して制御した状態というのは体にとって「安定状態」となります。しかし体が安定していることで「感じられなくなるもの」は多くあります。関節の遊びを残し、そこに「揺らぎ」の余裕を残すことで、触れている身体内部の僅かな動きは「揺らぎ」の中に反映されることになります。この時、関節の遊びがその内部の変化を感じ取れる程度に制御されていれば、揺らぎを通じて身体内部の変化を詳細に観察することができるということになります。これまでの体の操法が「体を正しく使う」ということに特化したものであるなら、こちらは「体を正しく感じる」ということに特化したものとなります。