体のオーバーホール

 

 オーバーホールというのは長年乗った自動車などが「壊れたわけではないが調子が悪い」という時に、全てを分解して組み立て直すことで「本来の状態に戻す」作業です。先に術式の二は「既往歴」などの局部的な問題を扱うとしましたが、それはケガや手術痕などに限った話ではなく、慢性的な機能低下も含みます。例えば足部というのはひとそれでその形が違うものです。足根骨に限っても、人それぞれで全体の形状や動き方はバラバラですし、それらの骨一つ一つが「全て滑らかに動く」などという足部にはまずお目にかかれないものです。つまり殆どの人の足部は「正しく機能していない」わけです。それは長年の使い方の癖によって生じた「個性」とも言えますが、「正しく動いていない」よりは「正しく動いている」方がいいわけで、そうは思っても「治し方」が分からないのが普通です。

 

 施術で「ある一つの骨」について、徹底した施術を行うとします。内容は「その骨の関する全ての周囲筋の機能の正常化(張力の均一化に限らず繊維単位の動きの改善)」。また「周囲の骨との関節を完全に離解して周囲からの一切のベクトルの干渉を消す」といったことです。これが達成できると、その骨が単体で全くベクトルを持たない状態となり、その骨だけが体の中で「浮いている」ような状態となります。この時、この骨は本来の自然の位置・機能を有していることになります(周囲の形状に影響は受けるが機能的には影響がない状態)。仮にこうした施術を足根骨全て(関係する周囲の骨にまで)に行った場合、足部そのものの形状は「本来の自然な形(機能)」にしかならないことになります(もちろん成長過程で形成された「独自の骨の形状」という制約はあります)。想像するだけでも「途方もない労力」と思われるでしょうが、そこを如何に効率よく行うかが、術式の二の目的だと言えます。

 

 体には足部のように、小さなパーツが多く組み合わさることでその仕組みが複雑となり、なかなか正しく機能させることができない部位というのがあちこちにあります。こうした部位についての機能低下は、通常の施術で行うような「どこかを治せば全体が治る」といった単純なす仕組みではありません(効率よく行う方法はあるとしても)。いったん「オーバーホール」のレベルまで徹底して改善しない限りは、根本的な改善が見込めないのが普通です。そこで行う施術は、実際に「分解」「解体」といった要素が強く、その局部にある構造体を「神経反応を持つ人体組織」ではなく「単純な構造物(モノ)」と捉えることで、機械を扱うように整え直していくのです(機械が部品間の抵抗をなくし滑らかな動きを重視するのと同じく関節間の一切の抵抗(ベクトル)を一時的に排除する)。

 

 こうした施術は実際にやってみれば分かることですが、指一本。指の関節一つでも、そこに生じている一切の抵抗(ベクトル)を消すのは至難の技です。それは体の機能が全身で繋がっている限り、どんな小さな骨でもそれは全身のバランスとの中で機能しているためで、一つの骨の動きを完全に正常化するということは、全身との関係性を全て変えるということに繋がります。こうした施術は通常の「体を整える」という感覚とは一線を画すもので、こうした施術の中でしか培われない感覚であり、技術となります。「部分を全体を表す」「全体は部分を表す」の言葉のように、骨一つという「部分」には全身の全ての情報が詰まっています。一つの骨を通じて全身の動きを理解し、それを他の骨に応用しながら積み重ねていく。その結果として、その体や状態に応じて「一つの部分」から「全身が治る」という仕組みが理解できるのだと思います。