局所から全身を治す

 

 術式の一は「全身を大まかに整える施術」です。こうした整え方で実際に体が治ってくれればいいのですが、それが治らないという場合は「治らない原因」が体に存在することを疑います。簡単には「既往歴」などの「正常に機能できない部位」があり、それが全身の均一な機能の障害となっているために「治らない」のだと考えるのです。実際に全身が正しく反応したくても「何か」が障害になってその反応が停滞してしまうことは多々あります。しかし「既往歴」などの場合、ケガや手術痕などで一定の組織損傷が起こっていると「本来の機能」まで回復させることは当然難しくなります。こうした「局所ではあるが重度の問題」を施術の主対象とするのが術式の二の施術です。そうした問題さえ解消すれば、全身が正しく機能することさまざまなものが「治る」と考えるのです。

 

 例えば骨折などは、治癒しても本来の機能の「八割・九割治ればいい」と言われます。そうなると、この部位に関する機能低下は全身が均一に機能するための障害となってしまうわけですが、こうした「完全には治らないもの」については以下のように考えます。まず私たちの体の機能はその全てを使っているわけではありません。これは「機能的な限界」という話ではなく、単純に日常生活レベルではその機能を使い切るような場はないということです。加えて私たちの体には広義の意味での「機能的な余裕(遊び)」があります。仮に日常レベルの機能であっても私たちが使っているのが「六〜八割」だとすれば「残りの使っていない機能」があるわけです。これが機能的な余裕です。通常では周囲組織の活動に追いつけない状態にある「機能低下している部位(既往歴などによって)」でも、そうした余裕の部分の機能を使えば、一時的にでも周囲と同等以上の機能を得ることは可能です。

 

 私たちの体の中には「活性化している部位」と「不活性な部位」が混在しているものです。それでも何とか日常生活が過ごせてしまうのは、それが「全体のバランス」で機能しているからであり、互いが補い合うことによって多少の機能的な差は問題とならないためです。これに対して、既往歴などの「治らない原因」となっている局部の機能低下というのは、このバランスに加われず、排除された状態と言えます。全体のバランスの中に組み込まれるためには「最低限の機能」が要求されるわけで、そこに達しない部位についてはやむを得ず(一時的に)、そのバランスの外に置かれることになります。こうなると、その部位では機能を活性化する機会を与えられない限りは、機能低下したままで全身にとっての「お荷物」となります。いったんこうした関係性ができてしまうと、この状態が持続することで局部の機能低下はさらに進んでしまいます。

 

 こうした考えを前提とすれば、既往歴などの「全身のバランスに加われない部位」については、その機能を「機能的な余裕」の部分までを使うことで、一時的に「バランスに加われるレベル」にまで回復させればいいとなります。実際にそのバランスの中に加わることができれば、機能が活性化した状態を維持できることになるため「お荷物」ではなくなるわけです。ただしその回復に必要な「機能的な余裕」の部分を使うということは、通常の施術では難しいと思います。その細部の機能までを徹底して高めることで、不足分を補う必要があり、そのためには細部の「僅かな動きの障害」までを施術の対象としなければなりません。この「緻密な施術」が術式の二の目的であり、マニアックと言われる「大和整體」の大和整體たる所以だと思います。