体の静止と固定

 

 体から関節の遊びをなくす方法は「三軸の関節操作」の中で説明しました。まず「屈曲・伸展/側曲/回旋」の動きを一定の方向に組み合わせることで関節の遊びを抑制し、関節での骨と骨の位置関係を「ある一点」で明確にします。あとはその一点の感覚が変化しなければ、それは「自分の意図した通りの姿勢・動きを維持できている」ということになります(その一点に意図しない変化が現れればそれが「揺らぎ」なので抑制していく)。しかし殆どの人にとって、全身の主要な関節、その遊びを三軸の動きによって抑制するという作業には、最初は「著しく強い力」が必要となります。これは言い換えれば「関節を固定・維持するだけで手一杯」といった状態で、とてもその状態から体を動かすことなど叶いません(慣れれば普通に動けるようになります)。ただ、こうした状態にも「体の固定(静止)」という大きな意味があります。

 

 私たちが「体を正しく使う」という場合、そこには「正しく静止する」と「正しく動かす」の二つの要素があります。そして双方を比較した場合、実践が容易なのは「正しく静止する」ことです。体の静止というと、大抵の人が思い浮かべるのは「だるまさんが転んだ」のような静止だと思います。しかし誰しも経験があるように、自分では止まっているつもりでも、体には「揺らぎ」があるのでうまくは止まっていられないものです。この「体の静止」を行う上でも、先の「三軸の関節操作」による関節の遊びの減少は必須となります。体を正しく使う(動かす)」ためには、まず最初に「正しい静止」ができなければいけません。それが「力づく」によるものであったとしても、「完全に静止する感覚(意図的な体の制御による静止)」を掴まない限りは、正しく動くことなど到底叶いません(厳密に言えば内部では生命活動の動きが起こっているわけですが、それを筋肉の働きで抑制することで運動器に限った「静止」が得られます)。

 

 大和整體の施術は「静の施術」を基本とします。全ては「正しい静止」を基本とし、「正しい静止」ができるからこそ、そこから「正しい動き」もできると考えるのです。体が正しく静止している状態というのは、全身を静止という形で制御しているということですが、こうした状態では身体内部の情報が脳へとスムーズに伝わるものです。そして静止した瞬間に私たちの体には「リセット」がかかるようになっています。私たちは体を常に正しく動かすことはできないので、動いているうちに脳への負荷の増大からいろいろな感覚が曖昧になり、その動きは乱れるものです。しかし動いている最中に一瞬でもこの「正しい静止」を行うと、全身の情報が脳に伝わり、それまで生じていた誤りが「リセット」されます。正しい動きは正しい静止から始まることで可能となり、動きが乱れた場合でも合間に「正しい静止」を行うことでリセットし、また正しい動きに戻れるということです。

 

 仮に「理想的な体」を持つ人がいたとして、そうした体には「関節の不要な遊び」がなく、常に正しい骨の位置感覚の中で動きを制御できていることになります(関節の遊びは関節構造の不安定さに比例する)。こうした人では「ただ動きを止める」ということが「正しい静止」に繋がります。しかし私たちの体はこうはいかないので、そこに近づけるよう体を訓練していく必要があります。そのための方法論がここでの「体の操法」で、最初は不安定な関節を強い緊張によって強制的に「より安定した状態」にするしかありません。しかしそうした体の使い方に慣れていくことで、次第に強い力を用いなくても「正しい静止」を行うことが可能となっていきますし、同時に動きによる乱れも減少していくことで、「正しい動き」にも近づいていくことができます。「体を正しく使う」ことに「感覚的な正しさ(主観的な感覚)」は必要ありません。「出来ているつもり」ほど恐いものはないわけで、大切なのは「そのために必要な作業」を正確に行い続ける訓練です(感覚は曖昧だが訓練による経験は嘘をつかない)。