役割の分担と感じること


 

 全身を均一にする感覚に慣れたら、次は身体各部に明確な「役割の分担」を設けていきます。これは体を動かす際に生じる脳の負担を分散・均等化するということで、施術の精度を高めることに繋がっていきます。例えば施術を手指(前腕を含む)の力に頼って起こった場合、手指では「力を発する」という作業と「動きを微調整する」という作業の二つが同時に行われていることになります。この場合、脳は二つの作業を同時に処理しなければならないため、負担が大きく、その結果として「力を発する」という単純な命令は実行しやすいものの、その内容が複雑な「動きの微調整」については充分な命令を実行しにくくなるので。その結果として「施術の精度」が低下しやすくなってしまいます。これは「強い力を発揮しつつ精度の高い動きを行う」ことの難しさを考えれば当然のことです。

 

 大和整體では体について「肘から先(手部)」「膝から先(足部)」は分けて考えることとし、それ以外の残った全身を「体部」と定義します。これは体の末端である手足が「何かに触れる」「地に着く」といった外界の対象物との接点として機能するパーツであり、その対象物に対して微調整を行うために「繊細な機能」を備えているのだと考えるためです。そのために手部なら前腕が二本の骨で構成され、手部が五本の骨で構成されています(加えて言えば手根骨のその複雑な動きに対応するため小さく分割されている)。私たちの日常生活における動作は、そのほとんどが足部と手部を外界との接点としており、これらはいわば外界の対象物といかに合わせるかという調和(地面を捕まえる・モノを持つなど)を図る部位であると考えることができます。これに対して残った「体部」は、そうした外界の対象物に直接関係することがないので「合わせる」必要がなく独自の動きを行うことができます。

 

 これを整理すると、体の動きを構成する要素を「力(大まかな動き)」と「微調整(繊細な動き)」に区分した場合、「力」は体部から発し、その力を「微調整」するのが手部であり足部であると言えます。こうした役割分担を行う限りは、脳が身体各部を動かすための負担もその役割ごとに分散されることになるので、結果的にそれぞれの動きを正しく行うことができるようになるのです。簡単には「手足」から力を発揮することをせず、意図的に体幹から力を発することで、結果的に足部・手部を繊細な作業に専念させることができるということです。ただ、多くの人の体ではそうした「役割分担」が行われていないので、相応に訓練をすることで初めてその使い分けができるようになります。また手部・足部そのものに強い力を発揮させないということは、それぞれの「感度」を高めることにも寄与しています。

 

 これに加えて、相手の体を振れることで得られる多くの情報は、一般的に「手指で感じるもの」とされていますが、この「感じる」という作業を手指自体に行わせると、それはやはり「微調整」と「感じる」の二つの作業を同時に行わせることになってしまうので、やはり脳に過剰な負担をかけてしまいます。これについて大和では手指から受け取った情報を感じる部位は「胸部」としています。全身を一体化させて使っている限り、末端で得た感覚は自然に全身へと伝わっているものです。そうした情報を敏感に受け取りやすい部位として胸部は適しているのですが、より具体的な理由としては、胸部は上肢の延長上にあり、かつ動作の中でより動きの少ない部位であることとなります。もともと敏感であり、かつ体の動きにはあまり参加せず静的な状態を保ちやすい胸部は、手指から得た情報をより詳細に私たちの意識に上らせてくれます。実際には術式一の体の操法を正しく行うと、どんな感覚も胸でしか感じられなくなるものです。