互いの体が釣り合う


 

 体の操法について「準備段階」の説明は終えているので、ここからが「実践」となります。実際に「全身を固める」といってもそれは簡単ではなく、自身の身体操作だけで体を固めつつ施術を行うことはさらに難しいこととなります。これをより簡単に実践するための方法は、押圧そのものを全身を固めることの「補助」として用いることです。まず自分なりに全身を固めた状態をつくり、その状態のまま押圧を行うわけですが、ここでの押圧には当然「押される」という要素が加わってきます(自分が押している分だけ自分も押されていることになる)。術式の一の体の操法は「全身を内に締める」という要素を含んでいますが、これに「押される」という力が僅かに加わるだけで、そこでの「全身の固定」は著しく強固なものとなります。実際にはこの「押される」という動作を含めての術式の一の体の操法なわけで、この状態を「互いの体が釣り合う状態」と考えます。

 

 実践においての術式の一の体の操法の目指すところは、自身の体を内に締め(固め)、全身をまとまりの一つの固体とすることにあります。これに対して、一つの固体となった施術者の体に触れられた受け手の体は、互いの体が弾く反応を利用することで結果的に受け手の体をも「一つの固体」とします(施術が正しく行われた場合のみに起こる現象であり感覚)。この時点で互いの体は多少のことでは壊れない「安定状態」にあると言えます。これについては「弾くという施術」で既に説明しているので、同じことを視点を変えて説明しているだけですが、重要なのは互いの体の安定状態が、互いの体に依存しているという関係性です。この状態で片方の体のみが安定するということは成立しないわけで、それ故に「釣り合う」という表現が適するのです(互いの体の張力が釣り合うからこそこの状態が成立する)。つまりはこの時点で両者の間に、互いの体の境界線は保ったままでの「一体感」が生じるわけで、全ての施術はこの感覚を前提として行うことになります。

 

 この状態をつくる意味は、受け手の体が意識・無意識に関わらず全身で「施術者の体(その状態)」に反応しているという点にあります。これは言い換えれば「受け手の体の施術に対する反応度が必要レベルにまで高まっている状態」であり、それゆえにそこから行われる施術が相応の効果に繋がるということです。それが互いの境界を分ち、体の表面にしか作用しないであろうとしてもです(表面を介して深部へと効果が伝わることも既に説明しました)。そもそも施術による効果というのは、体の状態や反応の仕方によってその場所場所、その時々で曖昧になりがちなものです。それは受け手の意識・無意識の抵抗もありますし、反応のよい部位・悪い部位といった偏り、または意識レベルでの敏感な部位・鈍感な部位など、さまざまな理由から起こりうるもので、これらを総括して「同じように反応させよう」という方が無理な話です。また施術による刺激が全身に波及するか、施術部位に留まるかについても同じことが言えます。

 

 こうした体の反応の偏りを解消するための方法として「互いの体が釣り合う」という施術を用いるわけで、ここまで説明すれば「全身を固める」だの「全身を締める」だのと窮屈な体の操法をあえて指定した理由も少しは納得して貰えるかと思います。施術者側が全身を一体とした状態から触れることで、受け手の体にも同じ状態を強要し、全身が等しく反応しやすい状態を作りつつ施術を行う。こうした状態から行われる施術では、どんな施術でも全身に一定の反応が得られるわけで、それは同時に施術による刺激から起こりうる反応を安定して予測できるということにも繋がります。これは最初の「強圧」で強く実感されることですが、こうした施術に慣れて「弱圧」でも同じことが可能になったとしても、同じ感覚で行う限りは有効なので、最初にこうした感覚に慣れておくことで、先々に行われるあらゆる施術に常に同様の効果が望めることになります(どんなテクニックであれそこに術式一の感覚を盛り込むだけで同じ効果を望むことができる)。