「上下」の体の変化

 

 全身の筋肉の張力を均一化するということは、全身に対して「緊張度の違いによる機能的な差異をなくす」ということです。対象はあくまで体の外側=運動器に限定していますが、この段階では「外側が均一になる」ということが間接的に内部の機能も均一に活性化させることに繋がるのだと考えておいて下さい。それが正しく行われた結果として、全身からは不要な歪みが減少し、かつ全体が均一に機能できる状態になっている筈です。仮にこの状態が達成された時点で、体は相応の回復力を有しており、結果的に少々の愁訴などは治癒していると思うのですが、これはあくまで「基礎中の基礎」なので、当然その先もあるわけです。まず考えるべきは「全身の張力(および機能)が均一化された体が向かう先に起こる変化」ということです。

 

 全身の張力を均一化させることの一次的な目的は「体の機能を整えること」ではありません。これはあくまで二次的な目的で、一次的な目的の副産物程度に過ぎません。その目的は最初に説明してきた「交感神経の過剰な働きの抑制」にあります。体が整うということは、それまで整っていない状態であったからこそ必要であった「不要な緊張」が要らなくなるということです。実際には整った状態に体が慣れ、安定することで交感神経の働きが抑制されることになるのですが、実際にそうなった時点で体の状態はそれまでとは一変することになります。これは体の状態というのが「ベースとなる交感神経の活動状態」に強く影響を受けているためで、そのベースの部分が変わってしまえば体の状態も変わるということです。例えば愁訴なら、ある緊張状態の中で成立していた愁訴は、そのベースとなる交感神経の働きが変化してしまうと成立しなくなり、変わりのその状態なりに発現しやすい別の愁訴が顔を出すことになります。

 

 こうした「ベースとなる交感神経の活動状態」の変化を、ここでは「層の切り替わり」としておきます。それまでの体の状態を多面性を持つ体の「一つの層」として捉え、それが消え去ることで下にあった別の層が表面化するということです。そこではこれまでの施術によって体を整えたこと自体がリセットされるので(それまでの施術は前の層に対して行ったものでしかない)、体は不自然に歪み、また新たに整え直す必要が生じます。そこで行うことはこれまでと同じであり、こうした繰り返しを続けていくことで体は徐々に本来の自然な働きに近づいていくものです。とはいえ、施術がこれを延々と繰り返すだけなら退屈なのですが、実際にはある段階で別の変化へと行き着きます。それが「上下」の体の変化で、交感神経の働きが一定以上に抑制されると、体は弛緩によりその重みが重力に従って「下」へと移っていきます。その結果として体は足部を起点に安定しやすくなる反面、上位では著しく不安定なバランスの悪い状態が起こることになります。

 

 体というのはそもそも「重い」ものです。腕ひとつにしても、同じものを「肉屋」で持ったならとんでもなく重く感じることでしょう。私たちが自分の体を「軽く」感じている最も大きな理由は「緊張」で、人は緊張すればするほど体の重みを感じなくなり、弛緩すればするほど重みを感じます。つまり交感神経の働きが一定以上に抑制された時点で、体は重く、動かしにくいものと変わります。そしてこれが正しく行われれば、その重みは足部に集中し、足部を正しく機能させる条件を整えてくれます。その反面、緊張という支えを失った体の上位は緊張の中でこそうまく機能できていたものの、弛緩の中ではうまく機能できずに不安定となります。こうした状態では体の上下に「安定」「不安定」の分離感が生じることになります。この状態に入れば、次に目指すべきは足部からの安定が上位の全身にまで及ぶこととなるので、施術の目的そのものが変わることになるのです(「体が重力に従う」ことを前提とした体の整え方=重力に対する全身の連携)。