緊張を分断する

 

 ここではいったん難しいことから離れて、手技で緊張を弛めることの難しさについて考えていきます。どんな理屈を並べようと、手技ではその緊張を弛めることが難しい「全身が岩のようにガチガチな人」というのはいるわけで、そういう体についてはいろんな療法の「高尚な理論」というのもあまり役には立たないものです。これが頭の強い緊張ばかりから起こっているものなら、頭部の緊張を弛めることで相応の効果も期待できるのですが、そうした状態がすでに長期化し、体自身の側で「安定した緊張状態」が成立してしまっているとそうもいきません。この「安定」という点が厄介で、体はそれがどんな状態であるにせよ、安定状態に入っている限りはあまり施術には反応しないものです。施術というのは体が持つ不安定要素(揺らぎ)につけ込むことで大きな変化を得られるわけで、つけ込む隙のない体を変化させるというのは非常に難しい作業となってしまいます。

 

 こうした体については、まずどうやって「安定」を崩すかが問題となります。ただ「安定を崩す」といっても、それが身体機能そのものを壊してしまうのでは困るわけで、ここでは単純に「強い緊張を維持しにくい状況」を作ることに留めます。方法は単純で、体の緊張というのは頭の先から足の先までの全身が、支点を通じてお互いに密接に「結びつく」ことで成立しているので、これを分断してしまえばいいのです。まず全身の緊張の起点となるのは四肢です。体は手足を緊張させることで結果的に全身まで緊張させることができるわけで、逆を言えば四肢が弛んだ状態ではほとんど緊張ができなくなります。そのために「体を末端からほどく」という説明をしたわけですが、この場合は「末端を通じて全身を相手にしている」わけで、これでは分が悪すぎるので、狙うのは末端(四肢)と中心(体幹)が接する接合部、股関節と肩関節です。

 

 これは簡単にいえば股関節もしくは肩関節のいずれかに対して、その関節の裂隙を開くような押圧を行い、その範囲内にある支点の解除を行うだけです。あくまで術式一の体の操法を前提とした効果ですが、最初は関節が強く締まった「遊びのない状態」にある関節に対して、その隙間を開くように押圧を行い、支点の解除とともにその遊びが安定して確保される状態になれば良しとします(押圧をやめても関節の遊びがそのまま残る状態)。これが股関節なら、股関節に一定の「関節の遊び」が確保された時点で体幹と下肢の間に生じていた「緊張による連携(結びつき)」が断たれるため、それぞれは互いの力を借りることで行っていた「緊張の増大」ができなくなり、本来の個々の緊張(それぞれが単体で可能な緊張)に戻ります。この時点で、体幹は未だ他の四肢との結びつきを持っているため、まだ強い緊張を維持することができますが、体幹との繋がりを失った下肢については、その緊張が著しく弱まることになります。

 

 こうなると緊張の弱まった下肢を施術によって弛めることは難しくないわけで、仮にこれを四肢全てに行うと、自然に体幹も緊張するための起点を失うことで強い緊張を維持できなくなります。これは「治す施術(整える施術)」に対する「壊す施術」であり、体をいったん壊すことで改めて整えやすい状態に持ち込むという「整える施術の前段階」となります。体はそれが施術者から見ればどんな悪い状態であったとしても、体には体の事情があってそうした状態になっているものです。それを一方的に治そうとすれば、そこに無理が生じるのも当たり前です。ならばそうした「誤ったバランス(誤った安定状態)」は一度壊してしまえばいいわけで、壊れたものを改めて整えるということは比較的簡単な作業です。「整えることができないならいったん壊す」というのは大和の基本的な考え方で、ここでは股関節・肩関節を例に説明しましたが、実際の施術では必要に応じていろいろな部位(ここでは関節)に対して用いることができるものです。