緊張をほどいた「先」

 

 これまで体の不調の潜在的要因には「交感神経の過剰な働き」が関与し、これを正常な働きに戻すことで体は本来の機能を取り戻すことができる、と説明してきました。そしてその簡単な方法論も。とはいえ、実際の患者さんは何らかの愁訴を抱え、その解消のために来院するわけです。そこで患者さんの意向を無視して「交感神経の働き」のみに施術の対象を絞るというのもおかしな話です。これについて補足をしておくと、まず「愁訴を解消しようと施術を行うこと」それ自体は問題ではありません。それで治るのならいいのです。しかし実際には「治りにくい愁訴」というのはそのほとんどが「結果」であり「枝葉」です。そこには「原因」であり「幹」が存在しているものです。これらが「愁訴」のように表面に現れてくれたら楽なのですが、「原因」や「幹」は表面には現れないため、愁訴から類推するしかありません。しかしその体に「交感神経の過剰な働き」が関与している場合は、その類推さえ難しくなってしまいます。

 

 治らない愁訴を抱えた体というのは、大抵が「本来の回復力(治癒力)を持たない体」であり、そこに起こっているのは「多くの身体機能の誤作動」です。人の体は誤作動に誤作動を重ねた挙げ句、それが限界に達した時点で「治らない愁訴」へと至るのであり、そうした誤作動の集積のような体から「愁訴の原因」を探し当てることは非常に難しい作業となります。そしてこの「誤作動」の要因になっているのが「交感神経の過剰な働き」なわけで、これを抑制し、体の機能(反応)をある程度正常化させない限り、原因を治す以前に突き止めることすら難しいのだと思います。直接に愁訴を治せるものならそれが一番の理想ですが、それが難しい場合には体の機能を正常化させていく過程で見え隠れする雑多な反応の中に、その原因を求めるのが遠回りではあっても良策なのだと思うのです。

 

 これまでの「体をほどく」という施術の考え方は、全身の強い緊張の「核」となる支点を消していく作業です。支点を強いものから純に消し去っていくことで、それまで強い緊張とそれに対応して生じる弛緩が混在していた体は、徐々にその差がなくなっていきます。目的は「緊張の緩和」ではなく「緊張の均一化」であり、均一化であるからこそ身体機能が均一に活性化しやすくなるのです。体の誤作動というのは「不均一な緊張」その差異によって生じるものであり、その差異をなくしていくことこそが身体機能の正常化に繋がっていきます。こうした中では、仮に愁訴を直接の施術対象としなくても、それが「枝葉」である場合は全体の機能の均一化に伴い消失しやすいものです。これに対して「原因」は消失することなく残り続けます。これは「原因」が通常の身体機能の正常化程度では回復しないからで、全身の諸機能が回復することで逆に「浮き出て」くるのです。

 

 どんな身体機能の異常も、それが体の中に隠れているうちは(体が全身でそれを守っているうちは)施術による改善が望めないものです。しかしそれが表面に出てきてくれたなら、それは施術によって改善可能な対象となります。ここでの「体を整える」という対象は全身の筋肉の張力に限りますが、体を整えるという作業は、体の諸機能を「施術によって整った状態で安定するもの」と、「施術そのものを拒否して安定しないもの」に振り分ける作業でもあります。この「安定しないもの」の中に「原因」が隠れているわけで、振り分けさえ正しくできれば、誰にでも「原因」は容易く見つけられるものです。重要なのは「施術で身体諸機能を安定させる術」であり、それがこの段階では「張力を整える」という作業に当たります。全身を覆う筋肉の張力を局部ごとに確実に均一化させ、安定状態とする。この繰り返しによって「原因」を浮きだたせることに繋がっていくのです。