体の「何か」を整える

 

 まず初めに、整体の前提である「体を整える」ということには、必ず「ある面において」という限定条件があります。これはどういった組織を施術の対象とするか(骨・筋肉・内臓など)、どういった機能を改善していくかなど、整える対象を決めるからこそ「体が整う」となります。しかしこれは、その反面として「何かを整えることで何かが崩れる」という体全体のバランスを崩す可能性も孕んでいます。体はどんな悪い状態にあっても、その状態なりに「一定の機能の統合」を図っています。それに対して体をある一面について「整える=変化させる」ということは、それまで体が持っていたバランスを崩すことに繋がります。仮に「歪んでいる姿勢を整える」ということでも、そこでは体は歪んだ状態で諸機能が統合しているわけで、それをただ真っすぐにするということは、見た目にはよい変化であっても内部の機能に様々な支障をきたす可能性を持ちます。

 

 その上で私たちが「体を整える」ということは、ある面において体を正したことが、結果として他の組織・機能にもよい方向へと作用し、施術をきっかけに「体全体がよりよく統合していく」ことを目的としています。先の「姿勢を正す」を例にするなら、姿勢を正したことによって、体の諸機能がその正しい姿勢のもとに統合されればよいということです。しかしこの「統合」も、施術者が体の様々な機能を多面的(包括的)に、かつ同時に捉えることができること。更に先々の変化までを予測をして行うことができて初めて可能となるものです(一般的な施術者にとってはあまり現実的ではない)。それ以前の段階にいる人にとっては、あくまで体を何か一面で整え、それが結果として他の諸機能にもよい方向への変化に繋がっていくことを期待するしかありません(ある程度は偶発性に頼るしかない)。「体を整える」ということは、それが先のような「理想的な統合」に繋がるものでない限り、手放しで褒められるようなものではありません。

 

 これはもちろん大和整體の「体の整え方」でも同じことです。大和整体では幾つかの異なる体の整え方を実践していき、最終的にはそれらを包括的に扱うことで、結果的に先の「理想的な統合」へと近づくことを目指します(統合=体が多面的に整う)。そのため、その一つ一つの「体の整え方」はどれも不完全な整い方でしかありません。ただし、実際の施術では患者さんの体の状態と患者さんの愁訴に対して、その時々に「適した整え方」もあり、必ずしも「統合」が必要というわけではありません。例えば一時的な骨格のバランスの崩れによって「腰痛」が生じているようなケースでは、「骨格を正す」という施術が腰痛の直接的な治癒に繋がります。その結果として他の機能に若干の悪影響を及ぼしたとしても、それが愁訴に繋がるほどの変調にならなければ、一応の治癒ということができます。体の整えるための方法論は、一つ一つは偏った限定的な治癒効果しか持ちませんが、それを幾つか手に入れることで、状況に応じた整え方を選択的に用いることができるようになります。

 

 こうしたことを前提に、術式の一は体を「筋肉の張力」という観点から整える施術です。施術者にとって誰にでも扱いやすい体の対象はやはり「筋肉」です。ここではその対象を「運動器の筋肉」に限定しますが、全身の運動器の筋肉の張力を均一に整えるのが術式の一の施術目標となります。運動器の筋肉の張力が深部・浅部に関わらず全身で均一の張力となれば、その筋肉に支持されている骨組織も相応に整うことになるので、実際には「筋・骨格」のバランスを整えるための施術となります。