体の中の強さと弱さ

 

 私たちは「自分の体」の感覚を基準としてしか、体の仕組みというものを理解できません。当たり前のことですが、私たち施術家は、いろいろな勉強や経験を経ることで体を多面的に見ることができるようになると、これを忘れてしまいがちです。例えばスポーツ万能で、体の故障など一切経験がないという人なら、体は「強く頑丈なもの」だと思っていますし、病気がちですぐ体調を崩してしまう人では体を「弱い繊細なもの」と思っているものです。施術者が前者なら、施術で「強い刺激」を用いることに何の疑問も感じないでしょうし、逆に後者であれば「そんな危険なことはできない」と思うかもしれません。また、これが「繊細な刺激」になれば、後者はそれを当然と思うでしょうし、前者は「何をしているのか分からない」となるかもしれません。

 

 体には「車に敷かれてもケガ一つしない」ような頑丈な面もあれば、「些細な一言で体調を崩す」ような繊細な面もあります。これはどんな人にも当然に備わっているわけで、たいていはそのどちらかが強く表にでているというだけのことです。ただ、理想は「双方を均等に持つこと」であり、意識次第でどちらにもなれることが重要です。ただ、これを「強さと弱さ」という対比にしてしまうと、「弱い」ことにいいイメージは持てないと思うので、ここでは「弱い」を「繊細」に置き換えることにします。例えば格闘技で体を鍛え上げている人が、クラッシックのコンサートの微妙な音の違いに感動することがあっても、それをおかしいと思う人はいないはずです。

 

 こうした「強さ」と「繊細さ」は、私たち施術家の中にもよく目にします。マッサージのように実感の強い施術を好む人と、触れるような繊細な施術を好む人です。そもそも、施術で「どういう刺激を好むか」というのは、その人自身の感覚が強く反映されているものです。一般的には、自身の体に強い印象(感覚)を持っていれば「強い刺激」を好みますし、繊細な印象(感覚)を持っていれば「繊細な刺激」を好みます。これなら、自身の感覚の延長の中で施術を行うことができるので、当然その効果も大きなものとなります。仮に、自身の感覚と覚えた療法の感覚が相反するものであった場合は、その中で上達することは難しくなると思います。自身の感覚を一方に固定しない(片寄らせないこと)ということは、なかなか難しいものです。

 

 これを訓練で改善する場合、優先させるべき感覚は「強い感覚」だと思います。その理由は、先に「強い感覚」を充実させてから「繊細な感覚」に移行していくことは比較的容易なのに対し、先に「繊細な感覚」を充実させてしまうと「強い感覚」へはまず移行できないためです。一般的に強い施術を行う人が繊細な施術に興味を持つことはあっても、その逆はほとんどありません。

 

 これを前提として、大和では最初に「強圧の施術」を基本とします。これには施術の強さ以前に、身体機能の訓練として強圧が必要なのですが、まず自身の体をうまく使うことで発揮できる「最大の力(自身の力の上限)」を知って貰うのです。ここでは詳しく説明しませんが、施術に一定の条件を設けると、それを実践するためには「自身の全力」を使うことが必須となります。これが訓練によって次第に「より弱い力」でも行えるようになっていくことで、最終的に「触れる程度の力」でも同じことができるようになります。この方法では「強圧」と「弱圧」が同じ仕組みなので、両者を同じ動きと感覚で自在に使い分けることができます。これは例えば、「ただ触れている状態」から姿勢を一切変化させることなく、最大の力へと施術を変化させることができるということです(繊細な施術を行っている人が強い施術を行おうとすれば、どうしても違う動きや感覚になってしまう)。

 

 施術で「最強の刺激」と「最弱の刺激」の双方を扱えるようになるということは、自身の中に「強い感覚」と「繊細な感覚」の双方が等しく手に入るということで、かつ両者の中間の感覚も手に入るということです。そしてこれは、患者さんの体を扱う際にも有用で、「強から弱」の間でその患者さんに適した力や感覚を用いることが可能になります。ただ、これは「強い感覚の人には強い刺激」というわけではありません。大和の施術においては「その人の感覚と等しい強さ(感覚)」を用いるか、「その人の感覚に最も欠けている強さ(感覚)」を用いるものとしています。そして実際により効果的なのは後者の「足りない感覚を補う施術」です。