体の変化と方向性

 

 施術の継続によって人の体が変化していくとして、その変化の行き着く先をどこに設定するするかは重要なことです。例えば二人の人がいて、一人は見るからに健康で活発な人、もう一人は病弱で塞ぎがちの人だとします。そこで病弱で塞ぎがちの人に施術を継続していくことで、その人は「もう一人のように健康で活発な人になれるのか」を考えてみて下さい。私たちの施術はその人個人の中での「良い・悪い」を指標としているので、病弱で塞ぎがちな人が施術で体が健康になったとしても、それはあくまで「これまでと比べて」という基準の中での話で、他の人と比較した場合にはそれがあまり大きな変化には感じられないことが多いものです。もちろん人にはそれぞれの「個性」や「好み」があります。それでも身体機能という面で見た場合、病弱な人が「病気一つしたことがない」といった健康の代表のような人になれるかどうか。それが施術によって可能であるかどうかを意識することは重要だと思います。これについて、先に答えを言ってしまえば、それは「可能」であると思います。

 

 人の体は「恒常性」によってその機能が保たれています。しかしこの恒常性には「その人なりに適した機能の範囲内で安定する」という、「機能の幅」が設定されているわけで、多くの人はその範囲内で「好調・不調」を実感しているのです。これは病弱な人なら病弱な人なりに、健康な人なら健康な人なりにと、基準となる体の状態、その範囲内でしか変化し得ないということです。もし病弱な人がいまとは全く異なる「強い健康な体」を望むとしたら、「現在の恒常性が機能している範囲」自体を変化させない限り、その範囲を超えた状態での高い身体機能は期待できません。しかしそれには一度「既存の安定」を手放す必要があるわけで、仮に施術でそうした変化を引き起こすことが出来たとしても、実際に既存の安定を失った体は著しい不調に教われます。ただ、これを乗り越えて「新しい安定(一段階上の恒常性の機能)」を手に入れることができれば、その人はそれまでとは全く違う機能の体を手に入れることが出来ます。そして、こうした変化を繰り返していくと、先の「病弱な人」がそれまでと全く異なる「健康な体」を手に入れることも、理屈的には可能になるわけです。

 

 体を施術によって変化させていくと、最初は施術に応じて体がよく変化するものの、それがどんどん先へ進んでいくと、次第に最初の頃のような大きな変化が得にくくなります。それはその人の「恒常性が機能している範囲」の上限に近づいたということで、あとはいくら施術をしても中々大きな変化は得られなくなるものです(その都度の施術では大きな変化が起こるものの長い眼で見ればあまり変わっていない)。ここで施術者は選択肢を迫られるわけで、それは「現状を維持すること」と「現状の安定を壊して先へ進むか」のいずれかです。それに対して、ここでは実際に施術者がどういう施術を行うかは重要ではなく、どちらを見ているかが重要となります。施術者が「先」を見ていれば、体は施術を通じて自然に先へ進むよう変化していきますし、そうでなければ同じような変化をただ繰り返すだけです。体というのはその人の恒常性を維持できる範囲内で機能するようになっているので、その範囲内の変化に留まる施術を行っている限りは、その体が変化できる限界も決まっているようなものです。恒常性の範囲内に留まることを前提とした施術と、その恒常性を一度壊し、一段階上の機能で新たな恒常性を構築することを目的とした施術というのは、その性質が根本的に異なります。