足部の機能回復 1

 

 大和整體では足部に下腿部を含む一帯で「体を支える全ての動作を行う」としています。ここでは「立つ」という行為は全身のバランスによって行われるのではなく、足部が地面を掴み、安定した土台と機能することで、残りの全身は「ただそれに乗っていればよい」という単純な仕組みであると考えるのです。これは先の「連動」とは異なった考えのように思われるでしょうが、この足部の機能が正しく行われれば行われるほど、結果として連動もより正しく機能することになります。そもそも連動という「伸展を基本とした立位」に一定の緊張が必要とするのは、本来あるべき「足部の安定」が不足している状況でそれを実践した場合に生じる「やむを得ない緊張」です。連動の動きはそもそも「骨と靭帯の働き」に頼ることで筋肉の緊張を必要としない立ち方を理想とするので、その実践には足部の理想的な機能が不可欠なのです。

 

 大和整體が理想とする立位では、通常の接地に関わるあらゆる作業は、膝関節より下部でその全てが行われます。こうした状態では立位の際、膝関節より上位の部位には一切の余計な動きが必要なく、理想的な弛緩を伴った立位が可能となります。これをより理論的な説明に置き換えるなら「膝関節より下部が正常に機能することにより、地面の状態(凸凹)に関わらず膝関節の関節面が正しく水平に保たれる」。その結果として「膝関節より上位は安心して膝関節に乗ることができる」となります(膝=脛骨の上関節面は第二の地面)。しかし、たいていの人では膝関節より下部の機能が充分に働かないため、そこで生じる不足分(不安定さ)を腰や肩の緊張(動き)などで補うことになります。

 

 足部が正しく機能せず、体の上位にバランスをとるための不要な緊張が必要になると、そこで体には二つのベクトルが生じることになります。それは、足部の安定から全身を連動させようとする「上向きの力」と、上位の緊張がその事情に合わせて全身(ここでは足部)を歪ませようとする「下向きの力」です。これは言い換えれば「真っすぐな地面に立っていることで全身を整わせようとする上向きの力」と「体の事情(交感神経の過剰な亢進とその結果)によって全身を都合のいいように歪ませようとする下向きの力」で、体というのは常にこの二つの力のせめぎ合いの中で機能しているものです。そして施術の際に見るべきは、その二つの力が「どこでぶつかり合っているか」です(ぶつかり合っている部位より下では地面からの整う力が支配し、上では全身を歪ませようとする力が支配している)。そしてこのぶつかり合っている部位は膝関節より上であれば大きな問題はないのですが、下である場合は足部の機能に重大な支障が生じているものと考えます。

 

そこにはこうした動きが増大すると、次第に「肩や腰から生じた体のバランスをとるための不要な動き=体を歪ませようとする動き」が体の下位へと伝わり、日常的に膝関節より下部の動きに干渉してしまうことになります(膝より上位の体の捻れが膝より下位を捻れさせてしまう)。このために、たいていの人は「地に足を着く」という当たり前のことができなくなっています。

 

 こうした状態の体では、足部からは連動で体を整えるための「下→上の力(体を整えようとする力)」と、上位の肩や腰からは全身を歪ませようとする「上→下の力(体を歪ませようとする力)」が生じていることになります。この二つの力は体のどこかでぶつかることになるので、それが体のどの部位(高位)でぶつかっているかによって、全身の機能も大きく左右されることになります(理想は膝関節より下部が正常に機能することで相反する「上→下」の力そのものを生じさせないこと)。これが膝関節より上位でぶつかっている場合は、膝関節より下位は正しく機能できる状態にあるので、体の歪みに一定の抑止力が働いている状態となります(連動の体を整える機能が強い状態)。しかしこれが膝関節より下位でぶつかっている場合は、膝関節より下位の機能が損なわれてしまうため、体の歪みが大きく出やすい状態となってしまいます(連動による抑止力が働かない状態)。

 

 膝関節より下位が正常に機能しているということは、全身がその動きに合わせながら動くという、よい意味での「制約」があるということです、その制約の中で機能する限りは、体もそれほどおかしなことはできないものです。しかし膝関節より下部の機能が損なわれてしまうと、それは上位の体にとってみれば「好き放題に緊張できる(歪むことができる)」という状態になってしまうため、体は無軌道に壊れやすくなります。これはつまり、体の中でぶつかり合う「下→上(正の力)」「上→下(負の力)」がぶつかり合う位置が、膝関節より上であるか下であるかによって、全身の機能が正しく機能するか否かが決まってしまうということです。

 

 

 こうした考え方を前提にすれば、双方のぶつかりあう力が膝関節より下位に及んでいる場合、その体は既に「正しく機能できない状態」にあるわけで、そうした体に「体が治るための障害を取り去る施術」を行ったところで、正常な反応が得られるわけもありません。その場合はまず、両者の力がぶつかり合う位置を膝関節より上位へと押し上げる必要があります。そのために行うのが足部(下腿を含む)を整える施術であり、足部の機能をより高めていく(強くしていく)ことで、「下→上」の力を強めていきます。しかしこれは「体が治るための障害」を排除する施術と相反するものではありません。

 まだ経験の浅い施術者にとって「体が治るための障害(全身の機能が回復するためのポイント)」を見つけることは難しいものです。そうした場合は、まず無条件に足部へと施術を行うことを勧めています。足部への施術によって「下→上」の力が強まるということは、その強まった力が上位からの「歪む力(上→下)」をより上位へと押し返すことになるのですが、たいていはどこかで止まります。そのぶつかり合った部位には「下→上」の力を遮る「何らかの理由」があるわけで、これがそのまま「体が治るための障害」といえます。ぶつかり合った部位の周辺には運動器なり内臓なりの明確な機能障害があるものなので、これを改善すればよいのです。これを繰り返していくことで、体の下位から上位へと順に「体が治るための障害」を消し去っていくのです。これなら誰にでも確実に「体が治るための障害」を消し去る施術を行うことができます。

 体に生じている機能不全や愁訴が何であれ、「地に足を着く」ことができていない状態で発揮できる体の機能は限られているものです(治癒力も限られている)。そうした中で体のどこが壊れたとしても、それは「壊れやすい状態」にあるから壊れたのであり、そうした体でいる限りは治してもまたすぐにどこかが壊れます。「愁訴に関わらず足部へ施術を行う」ということは、「患者さんの不満を招くのではないか?」と心配をする方が多いのですが、足部の機能が高まることによって得られる「身体機能の向上」という恩恵は大きなもので、愁訴を直接解消することには繋がらなくなても、「体がよくなった」という実感は強く得やすいものです。大和整體ではその指導の中で「困ったら足部」ということを徹底しています。

 

 その足部を具体的にどう施術していくかについては、まずは「感覚の回復」を優先していきます。脳から最も遠く、その感覚が著しく低下しやすい足部では、たいていの人がその「感覚の鈍さ」ゆえにうまく機能できない状態になっています。これは足の指のどれか一本(拇趾と小趾はのぞく)を触って「何指を触っているか分かりますか?」と聞くと、半数以上の人が正しく答えられないことでも分かります。足部が正しく接地するというのは、逆立ちの時に手が体を支えることと同じです。逆立ちでは誰しも五本の指でしっかり体を支えようとするのに、足部となると指をほとんど使わない状態にあるものです。まず指で地面を掴み、その力が中足骨、足根骨、脛腓骨へと正しく伝わり、膝関節より下部の全体で地面を掴む。そのために感覚が低下している部位ではそれを高め、機能が低下している部位ではその機能を高めていくのです。

 正しく機能していない足部(下腿部を含む)を触り慣れている施術者にとって、指先や足関節(距腿関節)は柔軟に動くものですが、それ以外の足根骨や脛腓骨は「体を支えるために固い構造をしている」という誤解が生じやすくなっています。これは幼い子供の足首を触れば分かるのですが、幼い子供では指先から下腿までが均一に柔らかく動きます。これは加重(体重)がかかればより顕著で、足先から下腿に到る全体が「地面を掴む」ために連繋して動くようになっています。私たち大人がこうした柔軟性を失った背景には、頭主導の社会生活の中で常に緊張を強いられるため(上半身の機能ばかりが強まるため相対的に下半身が弱くなる)など、いろいろな背景がありますが、足部の正常な感覚および機能を取り戻すということは、身体機能を整える全ての施術において、文字通りその基盤となるものです。