体の内外の分離 1

 

 私たちの体はその「外側=体壁系(運動器と脳)」と「内側=内臓系」とに区分することができます。そして私たちの体に体する意識というのは外側の「体壁系」でより強くなっているので、私たちの体に体する感覚は「体壁系優位」であるといえます。体壁系の働きは主に交感神経の働きによって支えられ、内臓系の働きは副交感神経の働きによって支えられています。交感神経主体の体壁系の活動が優位であるということは、相対的に副交感神経主体の内臓系の活動を抑制することになるので、私たちが交感神経の働きに頼って行う体の活動は、常に内臓系の働きを抑制した状態の中で行われていることになります。

 

 これに対して幼い子供(その理想的な動き)では、この両者が対等の関係にあります。子供の場合は、まず基本の状態を内臓系主体の感覚と考えます。体は内臓系主体の場合は体壁系も副交感神経優位の状態で機能するため、体の内外が均一に動く感覚となります。ただしあくまで内臓系の活動・リズムが優先なので、この状態では激しい動きを行うことはできません。必要に応じて「活発に動く」場合は交感神経を活性化させることになりますが(相対的に副交感神経を抑制)、それも「体力の続く限り」という条件付きです。誰もが知っているように、子供は遊び疲れたら寝てしまい、前述の「基本の状態(寝ている間はより副交感神経が活性化している状態)」へと戻ります。大人のように体壁系優位の状態で自身を固定しないため、いつでも副交感神経優位の「基本の状態」へと戻ることができるのです。こうした状態が「社会生活」による「自由に休む(寝る)ことを許されない環境」に置かれることで、日常的に交感神経が優位である「体壁系優位」の感覚へと移行していくことになります。簡単には、体力の限界となり、眠くなった状態でも眠ることができないとなれば、その状況を交感神経の活性化(興奮状態)で乗り切ることになり、これを繰り返すことで体壁系優位の感覚が定着することになります。

 

 「体壁系優位の感覚」にある体は、常に一定以上の緊張を保つことで成立しますが、その状態では必ず運動器に一定の機能の制限が生じてしまうものです。そもそも骨格を含めた運動器の役割は、体を動かすことより「内臓の保護」を優先します。これは内臓の状態に合わせて、それを保護するよう運動器が働くということです。運動器も内臓も同じ一つの体を動かすためのシステムであり、一方がもう一方を無視して勝手に動くなどということはありません。体壁系優位の感覚になった体では同時に内臓系の働きが抑制されています。すると活動が低下した内臓系の働きを保護するために、運動器には常に「内臓を守る」ための一定の緊張が必要になります。この時点で運動器の活動には「内臓を守りつつ動く(余力の範囲で動く)」という制限が設けられることになります。これは単純に、胃腸の調子が悪い人なら体が「胃腸を庇う」ことを最優先するため、胃の周囲の運動器は強い緊張状態となり、運動器はその状態を維持しつつ可能な範囲でしか動くことができないということです。私たちが訓練によっていくら運動器の機能を高めようと、内臓を守るために行われている「保護のための緊張」に逆らって体を動かすことはできません(自覚できない部分での機能の抑制)。また、こうした体の内外の機能の不一致は、最も重要である心臓へのストレスとなり、心臓を守る「心膜の緊張」として運動器に強い機能制限を生じさせます(自覚できない強い運動制限)。

 

 私たちの運動器の動きには、常に内臓系の状態が反映されています。しかし、私たちが体壁系優位の感覚である限り、内臓に生じている問題よりも体壁系=運動器の問題の方が意識しやすいため、それが内臓起因の問題であるとはほとんど気付くことができません。しかし私たちの体に起こるさまざまな愁訴の背景には、こうしたことが多分に関係しているものです。まず内臓の機能の状態によって運動器に一定の機能の制限が生じる。この制限は全身均等に起こるわけではないので、そこにかならず歪みや捻れが生じます。この歪みや捻れがまた内臓の機能を低下させ、体の動きや機能を徐々に複雑なものへと変えてしまいます。これは言い換えれば、体を体壁系優位の感覚で動かし続ける限りは、体は「本来の自然な動き」を行うことはできないということです。