交感神経の働き 2

 

 体は生きている以上、日々変化をしています。その中で好調・不調があるのは当たり前で、「いつも元気」ということはあり得ません。そうした人はたいてい、交感神経の過剰な働きを常に一定に保つことで、体の感覚をも常に一定に保っていることがほとんどです。本人は「元気」と感じていても、体には疲労を蓄積し続けていることになるので、それが限界に達した時点で「壊れ」てしまいます。中にはそうした感覚の中でもうまく体のリズムを保ち、そうした疲労が一切表面化することなく一生を終えるような人もいます。しかしほとんどの人は年齢を重ねていくうちにどこかで「思いがけない愁訴・疾病」に見舞われやすいものです。よく言われる「あんなに元気だった人が…」というのはその好例で、それは「元気」だったのではなく、単に「交感神経の過剰な働き」が安定状態にあったことで「元気に見えていた」ということは多くあります。私たちの基本的な体の仕組みは野生動物や幼い子供と大差ないわけで、そうした仕組みを持つ私たちが「社会生活を営む」ということは、それだけで日常的に疲労を蓄積しやすく、かつそれを補うために交感神経の過剰な働きに頼らざるを得ないのが普通です。

 

 交感神経の働きは車のギアと似たようなものです。疲労の蓄積や体力の不足から「本来は動けない状態(動かない方がいい状態)」にある体が動かなければいけない時、そこで交感神経の過剰な働きが起こります。これは車のギアの「一速」と同じで、低速なのですぐに「止まる」ことができます。しかしその交感神経の過剰な働きの中で疲れきってしまい、なお動き続けなければいけないといった場合は、交感神経の働きをもう一段階高める必要があります。車のギアなら「二速」となります。これを繰り返し、交感神経の活動を段階的にどんどん高めていけば(車のギアを「三速」「四速」とあげていけば)、起きている間の活動による体への負担は加速度的に増大していくのに対して、睡眠の質は相対的に低下します。そのため、体は簡単には元の「疲労の蓄積していない自然な状態」に戻ることはできません。車なら「高速走行」になっているので、迂闊にブレーキを踏むことができないような状況といえます。

 

 こうした状態では、少しでも機能のバランスが崩れればすぐに愁訴なり、疾病なりに発展します。その愁訴が不調としては軽度の「たわいもないもの」であったとしても、それが「高速走行で走っている車のような体」に起こったものであれば、簡単に改善できないものは多く存在します。交感神経の過剰な働きを重ねてきたことで、体の働き(施術に体する反応)は通常のそれとは大きく異なっていることが多いためです(教科書的な反応をしてくれないので本来の施術が得にくい)。この場合、見かけの愁訴(その程度)は重要ではなく、背景に起こっている交感神経の働きの程度と、疲労の蓄積度が重要な意味を持ちます。ただ何を行うにせよ「高速走行」のような状態にある体に、無理に変化を強いるのは危険なので、まず交感神経の過剰な働きを段階的に抑制させ、体が比較的正常な反応をしてくれるようになるまで待ってから「目的の施術」を行う方が無難です。仮に段階を踏まずに「通常の施術(愁訴を直接改善するような施術)を行ったとしても、そうした体は強い交感神経の働きによって強固な「安定状態」を保っているものなので、施術自体が効きにくいか、一時的には効くもののすぐに元に戻ってしまうものです。