交感神経の働き 1

 

 私たちの体は、古くは「養生訓」で貝原益軒が説明したように「なるべく無駄に動かない方がいい」ようにできています。そして動く時にも緩やかに動く方がいいようにできています(もちろん反対の「動くことで活性化する仕組み」もありますがこれには一定の条件が必要なので後述とします)。そして、これに反して動く場合は交感神経の過剰な働きが必須となります。私たちの「元気」というのは、そのほとんどがこの交感神経の過剰な働きによって支えられています。

 

 例として、ある人が睡眠によって回復できる、または蓄えることのできる体力を「10」とします。その人が朝起きた時に「10」の体力を持っているとして、その人が起きている間、仕事などでその体力を使い切った場合(0)、寝ることでまた体力を蓄えます。毎日がこうした繰り返しなら、体の機能に負担はかからず、そこに交感神経の過剰な働きも必要ありません。しかし仕事が忙しく「10」の体力を使い切ってなお働かなければいけない場合、本来は動かない体を交感神経の過剰な働きによって動かすしかありません。仮にさらに「10」の体力を消耗すれば「-10」となるわけです。しかし日常の睡眠で回復できるのは「10」だけなので、この場合は朝起きた時点で「0」となります。そこで「本来は動かない体」を、また交感神経の神経の興奮によって動かせばどんどん借金は増えていきます。また交感神経の過剰な働きに頼った動きというのは、副交感神経系の機能に抑制を強いるため、不具合を多く抱える動きとなるため、同じ動きでも疲労は大きくなります。その上、交感神経の過剰な働きは体の感覚を鈍くするため、疲労を感じにくくなるという恐さを持ちます。たいていの人はこうした生活の繰り返しで、気付かないところで体に疲労を蓄積しているものです。

 

 これに対して、幼い子供の生活はどうかといえば、幼い子供は「蓄えた体力」の範囲内でしか動きません。その体力を使い切ってしまえばすぐ眠ってしまいます。そして睡眠によって疲労を回復し、体力を蓄えて、また動き出します。どんなに元気に見えても、その動きは「交感神経の過剰な働き」に頼らず、身体機能を損なうことなく行われるのです。これが小学校・中学校と進むにつれ、「疲れたら寝る」ということが許されなくなることで、誰しも交感神経の過剰な働きに頼らなければ日常生活を過ごすことができないようになってしまいます。それでも「週末は寝て過ごす」など、蓄積した疲れを敏感に感じることができる人はまだ安心なのですが、多くの人は交感神経の過剰な働きに伴う「感覚の低下」によって、そうした状態を「元気」「調子がいい」などと勘違いしやすいものです。こうした人は、疲労が限界に達した時点で、何の理由もなく急な愁訴や疾病に見舞われやすいという危険性を備えているといえます。