浮き身と施術

 

 武術の用語に「浮き身」という言葉があります。これは緊張などで体に余計な力が入ると、足に力が入らなくなり体が中に浮いたような不安定な状態になることを指す言葉です。体というのは緊張すると、その機能的中心が頭部などの上位に集中することになるので、逆に足(下半身)には力が入らなくなります。下半身に力が入らないということは、そのまま全身の不安定さに繋がるため、体のバランスをとる作業を上半身に頼らざるを得なくなり、結果的に全身各部のベクトルが必然的に「上向き」になるのです。これに対して体が弛緩した場合、それは「不要な活動の停止」ということを意味するので、それまで活動(緊張)のために身体各部で行われていた活発な血液循環が抑制され、不要となった血液は重力に従い下へと移動することになります。その結果として下半身には血液が充実することになるので、下半身はその機能を最大に発揮できる状態となり、下半身の安定を前提とした立ち方(バランスの取り方)が自然に行えるようになります(全身各部のベクトルが下向きとなる)。

 

 施術において「受け手の体」対「施術者の体」といった双方の力関係で「施術の優位性」が決まる場合、施術者側が確実に優位に立つためには全身各部が弛緩に伴う下向きのベクトル優位がなる必要があります。厳密に言えば「全身対全身」であるといっても、施術への抵抗として自然に全身の力を引き出せる受け手の側に比べれば、意識的に全身を使おうとする施術者の側の方が不利な立場にあります(施術者側は常に全身を正しく連動できるとは限らない)。しかし施術者側にとって有利なのは、受け手の体がベッドに寝ている限り「全身各部のベクトルを操作できない」のに対して、施術者は「下向き」のベクトルを作り出す選択権を有していることです。この条件を利用すれば、本来はただ「体対体」という関係の中だけでは優位に立てない施術者が、ベクトルの操作だけで確実に優位に立つことができるようになります。

 

 しかし施術においていろいろな動作を行う中で「全身各部の弛緩」を保つことは難しいので、「下向きのベクトル」を維持するためには一定の身体操作が必要となります。これは「臍を浮かさない」と説明しているのですが、人が大きな動作を行う時に「臍」の動きに注目していると、動き出す瞬間に僅かですが臍が浮くのを感じられる筈です。これは先の「浮き身」と同じことなので、一瞬でも臍が浮いた時点で体はその安定を失ってしまいます。よって施術の中では一切の動きの中で臍が浮かないよう、下半身を地面に押し付ける意識を保ち続けます(これを型として実践しているのが武術の「摺り足」で、体の安定を保ちながら動き続けるための効果的な訓練法です)。この方法であれば施術に強い力を用いなければいけない状況でも(体を強く緊張させなければいけない状況でも)、全身各部のベクトルを下向きに維持したままで施術を行うことができ、常に施術者側が優位な状況で施術を進めていくことが出来ます。