掌で感じる

 

 「掌で感じる」というと、普通は感覚的な話になるのですが、ここでの話はもっと即物的なものです。掌というのは人の体を触れて感じる時に、敏感な場所であるうえに広い範囲を感じ取れるため便利な部位です。しかし実際はその範囲の広さゆえに曖昧な情報しか感じ取ることが出来ません。これは「そこに何が起こっているか」といった大まかな変化の有無、質の違いなどを感じることは出来ても、細部の詳細な情報までは読み取れないということです。これは「指先で感じる」ということと比較すれば当然のことで、指先に意識を集中して「何かを感じる」という時の精度と、掌でのそれを比較すれば、いかに曖昧であるかはすぐに分かることです。しかし広い範囲の情報を集めることが掌はやはり便利なわけで、その掌で指先とまではいかなくてもある程度敏感に細かな情報を拾うことができれば、非常に便利になります。

 

 指先の敏感さの要因は、その範囲の狭さもあるのですが、それ以上に大きいのが「一点を基準に感じる」ということです。指先程度の広さであれば、その範囲の中に「中心」というべき「感覚の基準点(ある一点の感覚を中心に指先一帯で感じる)」を設定しやすいので、僅かな変化をも読み取ることが可能になります。例えば指先でも、何かを広い範囲で感じる(例えば布質感など)の場合は指先の腹の広い面を使って感じますが、小さなものの僅かな変化(髪の毛1本を触るなど)を感じる時は誰でも指尖を使うものです。これを掌に当てはめていくと、掌で感じるという時にも、「全体を均一にして感じる」という使い方と、「ある一点を基準に感じる」という使い方に区分を設けることで、感じ取れるものが大きく変わることになります。

 

 掌に「ある一点」の基準点を設けるとなると、思いつくのは掌の真ん中(ツボ=労宮)だと思うのですが、この場所には機能的に基準となる対象はありません。真ん中はあくまで構造的な中心であり、手指がその全域で正しく均一に機能している限りにおいて、中心として意識しやすい部位です。もちろんそこに「中心としての一点」を強く知覚できればそれでいいのですが、そういう人は稀だと思います。基準点として分かりやすいのは骨や関節などの「構造的に知覚しやすい対象」で、多くの施術者にとって使いやすいのは豆状骨や、拇趾の中指手根関節あたりだと思います(これは目安なのでどこでもよい)。自分にとって明確に「動かない一点」として意識しやすい部位が決まれば、その一点を基準として感じることで掌から得られる情報は飛躍的に多くなります。もちろんこれは使い分けで、曖昧かつ微妙な変化を感じ取る時は掌全体を均一にすること(「体を持つ手」で説明しました)で掌全体の感度を高た方がいいですし(動きそのものを感知する)、機械的な動きをより正確に拾いたい時には、基準点を設けて動きの詳細(移動量など)を感知するなど、感じる対象に応じて変えていきます。