力が釣り合う力

 

 施術に用いる力には、その体に対して「釣り合う適量」があります。これは強い力であろうが弱い力であろうが、その強さの中に応じて「適量」があるのですが、ここでは単純に「強い力」「弱い力」「中間の力」のそれぞれに釣り合う適量があるものとします(その中間に幾らも存在する)。私たちが体を強くも弱くと「押す」時、その力に対して受け手側の反応(抵抗)が強ければそれは「押し返されている状態」となり、施術者側の力が勝っていれば「押している状態」となります。しかしその中間には「どちらでもない状態」が存在するわけで、これが双方の体の間で「力が釣り合っている状態」ということです。こうした状態から行う手技=刺激は、当然体にとって違和感の少ないものとなるので、施術による反応を自然に得やすくなります。

 

 これを実感する簡単な方法としては、腹臥位で寝ている受け手の背中に肘を乗せて「休んで下さい」と説明します。施術として肘で押すのではなく、施術者は寝転んでテレビを見ている時にクッションに肘を乗せているように、ただ「自分の楽さ」だけを考えて肘に体重を乗せるのです。こうした時の力は自然に受け手の体と釣り合い、受け手にとっても非常の心地のいい刺激となります。これが意味するのは、その肘による刺激が「何の意図もない刺激」であり、自然な力に対しては体も自然な力で反応するということです。対して、私たちの行う手技というのは、そこに「何らかの意図」が加わってしまうので、その意図が自然な力の伝達を妨げ、体に違和感を与えてしまうものです。これはよく武術を行う人が「敵意を持って向かってる者には体が反応できるが、敵意がない者には反応できない、ということと同じです。触れるという行為は、そこに何らかの意図が生じることで、体にとっての「外部からの侵襲性刺激」として認識されます。

 

 施術の力が体と釣り合うかどうかは、力の量の問題であると同時に、その力が体にとっていかに違和感の少ないものがであるかによって決まります。これについて大和整體では前者について「肘を深く曲げて施術を行う」ことで、力の微調整を行いやすくします。はじめに少し多めの力を加えるよう体を動かし、力を加えていく過程で釣り合った瞬間に、以降の余分な力は肘へ逃がします。適切な力の量を決めるのは施術者の意図ではなく、触れた瞬間の体との共同作業なので、釣り合った瞬間をうまく感じ取り、維持するための体の使い方が重要となります。後者については触れるという行為がそのタイミングの取り方として「1・2」と段階の仕草になるものと考えれば、これを「1」で終わらせることで余計な力の干渉を省いていきます。「1・2」というのは「1」が施術者側の準備であると同時に、体を触れること(その触れ方)を強く意識する瞬間であり、これは「考える(思考)」という行程になります。「2」が実際の触れる「行為」です。手技は思考と行為が分断されてしまうことで体に違和感を与えやすくなるので、これを「1」として同時に行うと、受け手側の違和感は著しく減少します。