関節を伸ばさない

 

 「体を丸く使う」ということは全体の印象ではなく、実際に「体の全ての関節を丸く使う」ということです。多くの手技では「肘を伸ばす」「手指を伸ばす」といった動作が多く存在しますが、大和ではそうした「関節を伸ばす」という所作は基本の段階では一切用いません。その理由は「強度」と「感覚」の二つに尽きます。普通に考えれば「肘を伸ばした状態」というのは、肘関節が安定することで全身からの強い力を用いるには適しているように思われますが、この時の「強度の限界」は骨構造に頼ったものとなってしまいます。関節を伸展させている状態(関節の遊びのない状態)では、全ての力は骨の強度そのものに頼ることになるのですが、骨がいくら身体組織の中で最も固いとはいえ、それでは用いる力に限界があります。骨組織を介して筋肉が緊張できる上限というのは、骨そのものの強度ではなく、関節の安定度に起因するためです。

 

 主要な筋肉は特定の関節を動かすために存在しています。その筋肉が関節の構造的な限界を超えて強い収縮を行うことはないわけで(脳の側からストップがかかるため)、筋肉の緊張の上限というのはその時の関節が「どれだけの筋肉の緊張に耐えることができるか」によって決まるわけです。これには関節の運動軸や動作時の軌道などややこしい話が関係するのですが、ここでは割愛して単純に「関節の安定度」としておきます。そもそも「完全伸展位」というのは、ある程度の力に対してまでなら「強い状態」と言えるのですが、スポーツなどのケガがその状態から起こりやすいように、一定を越えた力に対しては非常に「脆い状態」であるといえます(既に関節の遊びを失っているので外部からの力を逃がす「余裕」がない)。これに人それぞれの「関節の安定度」までを考慮すると、決して強い力を発揮できる状態とはいえないのです(逆に壊れる危険性を多分に孕んだ姿位)。逆に、大和では「三軸の関節操作」と呼ぶ、あえて関節の遊びが大きくなる軽度屈曲位からその遊びを消し、骨構造に負担をかけることなく関節を強固に安定させた方が、筋肉が緊張できる上限はずっと大きなものとなります。

 

 ついで「感覚」ですが、関節は完全伸展した時点でそこには「局部的な強い緊張」が伴います。これは血液の流れを遮り、感覚の自然な伝達を阻害することに繋がります。血液の流れを遮るという時点で、本来は多用するべきではないと思いますが、問題は当該部位の感覚の消失と、それに伴う「感覚的な流れ」の断絶です。これが「全身均等に緊張をしている」のであれば、緊張しているなりに感覚は均一であり、そこで手指からの情報を敏感に受け取ることも可能となるのですが(大和は手指の感覚を胸で感じる)、その途中に「局部的な強い緊張」を設けてしまうと、そうした感覚も失われてしまいます。施術の内容がどんなに強い力を用いるものであったとしても、そこで「感じる」ことを捨ててはいけないわけで、常に一定の感覚を残すためには完全伸展はさけるべき姿位ということになるのです。ただし熟達者では完全伸展しながらでもそうした余地を残すことは可能なので(全身を緊張を均一にしつつ完全伸展が行える)、あくまで初心者についてのルールであると考えて下さい。

 

 こうした理由から、体のどんな些細な関節であっても「関節を伸ばさない」というは大和の基本ルールであり、それは手指についても同じです。一般的な「拇指圧」でも、関節を伸展とすることはありません。必ず僅かな屈曲によって関節の遊びを残した状態から、別な身体操作によってその遊びを消し、骨組織に直接かけることなく押圧を行うのです。これには「自身の関節を守る」という意味もあるわけで、最初のうちは強い力をかけることはできませんが、慣れて関節を安定させる術を心得れば、完全伸展時よりもずっと強く、かつ柔らかい力を用いることができるようになります。ここでの「柔らかさ」というのは、関節を固めつつも常に三軸の方向に力を逃がせる余裕を持たせているためで、関節の遊びを消している状態でありながら、いつでもその遊びを引き出せることで「柔らかさ」が備わるのです(力の逃げ場を持たない完全伸展位との違い)。ちなみに「関節を曲げきる」も完全伸展と同じく関節から力の逃げ場をなくしてしまうので、大和の施術の中では用いることはありません。