体を壊さずに触れる

 

 私たちが体を触れて、それを「壊す」というのは簡単なことです。余計なことを考えながら適当に触れればいい。これだけで体の機能は著しく低下します。これに対して、明確な目的に沿って体を正しく使って触れれば、それだけで体の機能もまとまっていきます。体は「触れられる」ということには非常に敏感であり、いい加減な触れ方をするだけでその機能は乱れますし、正しく集中して触れるだけで機能は整っていきます(これは「無心で触れる」も同じ」)。ただ、こうしたことも初心者の人にとってはそれほど大きな意味をなさないものの、熟練した施術者が行えばその違いはより大きなものとなって現れます。

 

 これは施術(手技)そのものの善し悪し以前の問題で、施術者が(その考えが合っていようと間違っていようと)集中迷いのない状態で体に触れれば、それだけで体の機能は整いやすくなります。しかし迷いがある状態で触れてしまえば、それだけで体の機能が乱れてしまうのです。大事なのは施術の内容以前に「集中力」で、集中している状態で体に触れれば問題ないのですが、集中できていない状態で体に触れただけで、それは「壊す行為」となってしまうのです。この集中とは意識だけの問題ではありません。正しい集中というのは意識の集中に対して、体が正しく反応してくれることで成立します。仮に意識は相応に集中していても、体がそれに反応してくれなければ意味がありません。誰しも体の不調で「うまく集中できない」という経験はあると思います。

 

 施術に限らず、集中して何かを行うために必要なことは、「体が正しく使えている」という感覚と、それに伴う「施術の正確性」です。実際に体の全てが使えている必要はありません。自分が体のうちで意識できる対象に限定したうえで、それらを「制御」できていればいいということです。それは完全ではなくても、施術という目的に対しての「体の統制された動き」となり、施術の効果を飛躍的に高めます。施術における集中には「施術対象に体する集中」と「施術を行う自分の体に体する集中」の二つがありますが、大和整體では後者を重要視します。「施術がうまくできるか否か」はもちろん重要なのですが、そのためには体が相応に正しく動いてくれることは必須です。まずは自身の体の動きに集中し、施術そのものは「体が正しく動いてくれている」限りは、施術そのものに大きな間違いも起こりえないと考えるのです。施術対象への意識の集中は、自身の体の動きを制御しつつ、余力の範囲で行うものとします。

 

 ただ、施術というものは「何も考えずに行う(自分の体が覚えているものをそのまま出す)」という方がよい効果に繋がるものです。それを敢えて「自分の体の動きに集中する」というのは、自身の身体感覚を訓練するためです。私たちは体を使う時に「使いやすい処」を優先的に訓練してしまうものです。それは「使いやすい処」は施術を重ねる度に訓練され、「使いにくい処」はその機能が停滞するということで、これでは両者の差は大きくなるばかりで体の動きも偏るばかりです。「何も考えない」という状態で本当によい施術ができるのは、体が相応に訓練されている人(スポーツでも武術でも)に限った話であり、そうでない人が施術の中でそれを実践しようとするなら「全身を正しく使う訓練」を経る必要があると思います。施術の中で自身の体の動きの正否が分かるようになってくれば、それは「集中しやすい状態」となり、施術という目的に対して自然に全身が統制されていきます(「何も考えずに行う」というのはその先の話です)。