触れるということ(対話)

 

 私たちは施術を通して当たり前のように人の体に触れますが、本来はこの「触れる」ということに対して、細心の注意が必要です。体に不用意に触れてしまえば、それは体に「外部からの刺激に対する緊張」を生み出すことになるからです。そもそも体は「外からの刺激」を嫌います。これは手技でも同じことで、体が「触れられる」ということに対して行う反応の基本は、その拒絶(緊張による抵抗)です。体はそれがどんな悪い状態であっても、その体なりに必死にバランスをとり、その現状なりの恒常性を維持しています。そうした体にとってみれば、外部からのあらゆる干渉はそれが「善かれと思っての行為」であったとしても、自身の恒常性を脅かす「侵襲性の刺激」でしかありません。これは悪い施術の例ですが、「自分が触れることで生じさせてしまった緊張を、体がもともと持っていた緊張と思い込みそれを消そうと施術を行う」ということは多くあります。体の本当の状態を知るためにも、触れるという行為には注意が必要になるのです。

 

 私たちが行う施術には、この「緊張による抵抗」が付きまとうものです。そのためには施術の内容如何より先に「手技を受け入れて貰えるための努力(安全に触れるための努力)」が必要になります。実際に触れる時に「一切の緊張を引き起こさない」というのは難しいことですが、いかに緊張を抑えるかによって、そこで行う施術の効果は大きく変わります。まずは施術において、この「緊張による抵抗」が必ず生じているということを自覚し、それをどう解消するかを常に意識することが大事です。どんな優れた技術であっても、それが強い抵抗を引き起こしてしまうものであれば本来の効果を発揮することはできません。

 

 触れ方以外にも、例えば私たち施術者が「触れたい部位(改善したい部位)」が、受け手にとって「触れられたくない部位」であることもあります。こうした部位を無闇に触れてしまえば、もう受け手の体は以後の施術を受け容れてはくれません(無意識下の反応なので殆ど本人に自覚はない)。また、ある部位への「施術者が起こしたい変化」が、受け手にとって「行いたくない変化」である場合もあります。こうした「触れる際の微妙な反応」に眼を向けていると、自身の施術が体にとってよい反応を引き出すものか、悪い反応を引き出すものかの判別もできます。相手の状態を無視して「誰にでも効く便利な施術」などはあり得ません。どんな施術も相手の状態に合わせて行うからこそよい変化へと繋がるわけで、最初の「触れる」ことを大事にすることで見えてくるものは多くあります。

 

 さらには施術で触れている部位、その力加減、方向の正しさ、手技の速度、手の硬軟の質、そうした全ての要素は「体が抵抗=緊張するか否か」の要素となります。触れようとする時点で受け手の緊張を感じたら触れ方を変える。ある部位に触れて緊張を感じたら少し部位を変える。力加減を変える、方向を変える…など、大和整體では受け手の体に生じる緊張を、その施術が正しいか否かの指標とします(施術に対する体の反応が「肯定的なもの」であるか「否定的」なものであるかを常に判別する)。これに常に注意を払い、体が受け入れやすい内容の施術を随時選択していくことを、大和整體では「体との対話」と言っています(体の声を聞く)。体がどういう刺激を好み、どういう刺激を嫌うか、これをよく観察することは、対話以上にその人についてのいろいろな情報を教えてくれるものです。

 

 実際には受け手の体が強く抵抗しても、敢えてそのまま施術を進めることもあります。しかしこうしたことも、それまでの施術の中で「体との対話」がうまくできていれば(体との信頼関係が築けていれば)、それほど大きな問題とはなり得ません。大和整體にとって施術とは「人との対話」と同じであり、一方的に自分の考えを押し付けるのではなく、あくまで双方の話し合いの中で成立すべきものだと考えます。そのための第一歩が「どう触れるか」であり、これが体との信頼関係を築くことの基本となります。