体の操法 2

 

 ここからは「体の操法」についてのより具体的な説明となります。大和整體の施術の基本姿勢は「体を丸く使う」です。そこに「姿勢を正す」という考え方はありません。この「丸く使う」とは、全身の主要な関節を全て軽く曲げた状態であり、全身の関節を一番力の入りにくい「中間位」とします。これに似た姿勢としては「立禅」があります。立禅とは体に余計な一切力が入らない姿勢を長い時間維持する鍛錬ですが、これと同じ体の使い方で施術を行っていきます。力が入らないのでは施術が成立しないと思われるかもしれませんが、大和整體の施術の基本練習は「強圧」であり、この力が入らない姿勢から最大の力の押圧ができるように自身の体を操作します。

 

 そもそも「体を丸く使う」というのは、全ての関節に敢えて力が入りにくい状態にし、「力み」による力の発揮を抑える意味を持ちます。この状態で力を発揮するためには「全身から均等に力を発する」しかありません。地にしっかりと足を着き、そこから生じる力を全身に伝達させる形で手指の施術へと変えていく。これを習慣化することで、どんな施術を行う時にも無意識に全身を均等に使うようになります(これに慣れると不均一な体の使い方を不快に感じてできないようになる)。実際には丸く使うだけでは「理想的な強圧」はできないので、これに「三軸の関節操作」というものを加えて「力みがない状態で全身を固める」という練習が入るのですが、ここでは触れないこととします。とはいえ、これも体を丸く使うことと、全身の関節を中間位で使うことを習慣化した上で「強圧」を用いようとすれば、自然と身に付いていくものです(それを理論的に整理したものが「三軸の関節操作」)。

 

 体を丸く使うことによって力み=支点ができない状態になると、同じ施術でもそこから起こる変化には大きな違いが現れます。前述の「受け手の体が緊張(抵抗)しにくい」以外にも、こちらは全身の力を手指の一点に伝えているのですから、その力の強弱に関わらず、施術部位に対する施術の強制力は飛躍的に増します。これは言い換えれば受け手の体のほんの一部の機能を、施術者が全身の機能を総動員して抑制させる(変化させる)わけで、当然、施術者の意図する変化を起こしやすくなります。これにより、施術における施術者の優位性が著しく高まることいなります。

 他にも、体を丸く使うことに慣れることにはいろいろな利点があります。全身の筋肉の張力が均一な状態というのは、全身の感覚が均一になりやすいため、それまで感じることのできなかったいろいろなものを感じることができるようになります(身体感覚の向上)。慣れれば慣れるほど自分の体の細部の不具合に気付くことができるようになり、それを施術の中で修正していけます。これは、いわば「癖を消す作業」のようなもので、感覚の向上により自身の体の使い方を修正していくと、次第に自身の体の使い方に偏りがなくなり、体本来の自然な動きに近づいていくことができます。そうなれば、基本的な施術を行っているだけでも充分以上の効果を出せるようになるはずです(どんな技術もその効果を損なう要因は「自身の癖」です)。

 

 これまで説明したように「体の操法」にはいろいろな意味があるのですが、その理想形は「十の力を十のまま伝える」ということです。私たちが何かを行う時、その力は自分が思っているほどうまく対象に伝わっていないものです。これには体の動きの正確性も関係しますが、それ以前に自分が発する力を自身の体の内部で逃がしてしまうことがより問題です。これは関節の弛み(遊び)が関節にかかる力(衝撃)を周囲へと逃がしてしまうためで、私たちがいくら全身を込めようと、その力が対象にそのまま伝わることはありません(自覚できないところで力を逃がしてしまっている)。しかし体を丸く使うということに熟達していくと(全身の関節をうまく統制して力が外へ一切逃げない状態となると)、施術の力は「十の力が十のまま」相手に伝わることになります(昔の空手が「一撃必殺」を謳っていましたが、それと同じ仕組みを用いるだけです)。どんなに強い力も、それが正しく制御されていなければ技術とはなり得ません。これが実践できると、体の小さな女性でも大の男と比較して何の遜色もない強圧を無理なく行えるようになります。また、これは「強い力を発揮する」ための仕組みではなく、本来は「無駄なく正確な施術を行う」ための仕組みです(その中に「強い力の発揮」も含まれるだけ)。施術の強弱に関わらず、「十の力を十のまま伝える」ということは、施術の効果を劇的に高めてくれるものです。

 

 実際にこうしたことをうまく行えるようになるには長い修練が必要だと思いますし、うまくできるようになればなるほど、細かな問題が見えてきて終わりがないものです。しかし自身の施術に足りないものを「外=新しい技術を求めるか」「内=自分の内部を改善するか」のいずれかで補おうとした場合、「外」に求めた場合はそこに「内の充実」がなければいずれ限りが訪れるものですが、「内」に求めた場合はそれが年月と共に「財産」として自身に積み重なっていきます。大和整體では「体の操法」を通して「新しい技術を求めること」よりも「基本的な技術を正しく行えること」を推奨しています。