体の操法 1

 

 「体から支点をなくす」というのは大和整體の施術の基本目標でもありますが、これは同時に自分の体についても言えることです。大和整體では、施術における体の使い方を幾つかの「体の操法」として定めています。これは施術を行うにあたっては、常に自分の体が支点のない状態で動けるよう、一定の体の動きを強いるものです(「型」のようなものです)。

 

 体は人に触れられる時、その触れている人の「情報」を敏感に感じ取ります。緊張している施術者が触れれば受け手も緊張しますし、弛んでいる施術者なら弛みやすくはなります(一概に弛むとはいえない)。これだけなら単純な話なのですが、実際には体は施術者の体についての細部の情報まで無意識下で読み取っているので、施術の内容如何に関わらず、施術者側の体の状態から強い緊張反応=抵抗が起こってしまうことは多いものです。そもそも、体はそれが何であれ「外からの変化」を嫌うものなので、外から体を変化させようとする刺激を受ければ、それに逆らって緊張=抵抗するものです。この抵抗が起こらないよう施術を行うのが「「技術」なのですが、この抵抗に大きく作用するのが施術者自身が持つ体の支点です。

 

 体は施術による刺激を感じる時、無意識にその「力の出どころ」を敏感に察知します。そして、それが明確であるほど抵抗しやすくなります。簡単には、施術者の肩に強い力みがあれば、その力みに合わせるようにして緊張=抵抗をするということです。これは起きている子供を抱いても軽いのに、寝ている子供を抱くと重いことと同じです。起きている体は支点の位置が明確なので、こちらもそこに力を集中させやすいため「軽い(持ちやすい)」のに対し、寝ている体では支点がなくなってしまい、こちらが力を集中させる対象がないことから「重く」なります。これを応用すると、体は施術者の体に明確な「支点」を見つけることができなければ、いくら抵抗したくてもうまく緊張ができない(抵抗できない)となります(うまい施術者の施術というのはその力の出どころが掴みにくいものです)。

 

 また支点に頼った動きというのは、自身の体の「血液の流れ」を不均一にします。同じ施術を行っていても、支点に頼って行うのでは疲れが早いだけでなく、支点の部分で血液循環が滞りやすくなるため、持続的な施術では力も入りにくくなりますし、感覚も低下してしまいます。どんな施術でも体の内部に強い支点を作らず、可能な限り全身の血液循環を均一にすることが理想です。施術はただでさえ「体の悪い人を触れる」ことから、いろんな悪影響を受けやすいものです。自身の体に支点による力みや血液循環の滞りがあり、初めから不具合が生じやすい状態で施術に望むのでは、そこで具合も悪くなっても当然です(相手は治るが自分の体は病んでしまう)。自身の体を整えつつ施術を行うことで、悪影響を受けにくく、かつ相手も治りやすい状態とする。これは施術者の自己防衛として必須の技術であると思います。

 

 こうしたことを前提とした上で、大和整體では「施術内での同調」を重要視します(同調に適した体の使い方=操法を行う)。施術を通して起こる「相手の体の反応」を、手の感覚を通して深く感じ取ることを大事にするのです。一般的に「施術における同調」は、相手の心身の状態の理解や、施術の効果を高めることとして重要視されています。もちろんそうした理由もあるのですが、最も重要なのは「同調」することによって自身が行った施術の変化が、施術者自身の体の「疑似体験」となることです。

 例えば施術で足首を整えたとして、それが施術者自身の足首より遥かに高い機能を発揮するまでの変化となれば、その感覚は同調によって施術者自身の体にも共有されるため、自身の足首が同様の高い機能を発揮するための重要な情報となります。別のいい方をすれば、いくら施術者に足首をそこまで整える知識と技術があったとしても、それだけでは自身の足首が高い機能を発揮することには繋がりません。しかし、そうした足に触れて「高い機能を有している足首の感覚」を実感することができれば、自身の足首が同様に動きやすくなります(同様の施術を重ねる度に自身の足首の機能がそこに近づいていく)。これは「同調」によって、施術で行った体の変化が自身の体にも反映されやすくなる(フィードバックされる)ということです(相手の体に起こった反応と同じことが自身の体にも起こりやすくなる)。

 

 よく手技療法家は「うまい人ほど早死にする」などといわれますが、これは技術の向上とともに扱う患者さんの愁訴も重くなり、悪い影響を受けることから起こる当然の結果ようなものです(もちろん自衛手段を持っている人ではその限りではありません)。しかし、施術の結果を少なからず施術者自身の体の経験(疑似体験)とすることができれば、「施術を続けることで体が壊れていく」のではなく「施術を続けることで体が治っていく」となります。大和整體の施術はこれを前提とした上で成立しています。施術は「相手を治すことと引き換えに自分が病む」のではなく、「相手と一緒に自分も治る」というものでなければいけません。