体の中のベクトル

 

 ベクトルという言葉については特に説明はしてきませんでしたが、大和の中では多用する言葉です。筋肉の緊張は、それが全身均等に起こるのであれば、そこで体の姿勢やバランスが変化することもありません。しかしそうしたことは稀で(稀にこれを日常的にできている人はいます)、たいていは偏りが生じてしまうものです。筋肉の緊張そのものは体の機能を害する要因ではありません。問題はその不均衡によって身体機能に偏りが生じることで、それがさまざまな体の不調へと繋がっていきます。

 

 この緊張の不均衡は、それが私たちの目に見える形の「姿勢の変化」として現れてくれるなら分かりやすいのですが、実際に姿勢の変化として表に現れるのは一部で、多くは「潜在的なベクトル」として隠れています。例えばある緊張から、腰部に「左回旋」の力が加わっているとします。しかしここで別の緊張が同じだけ「右回旋」の力を加えたとすれば、内部には緊張による偏りが生じているものの、腰部の姿勢自体は「真っすぐのまま」となります。これだけなら「緊張を双方で打ち消している」と言えるかもしれませんが、緊張にも「力の強さ」だけでなく、「力の質」の違いもあるので、例えば左回旋の力は腰部全般の動きに干渉するものであるのに対して、右回旋の力が動作の初動のみに強く反応するものであった場合、姿勢が安定しやすい「真っすぐ」では問題ないのですが、いったん体が動き出すと、初動では右回旋に影響を受け、それ以外では左回旋に影響を受けるといった「偏った動き」となってしまいます。実際には「ある部位の歪み」に対して、全身から幾つもの緊張が関与し、多くのベクトルが干渉し合う中で、結果的に「○○方向の捻れ」が成立していることになるので、見た目の歪みがそのまま緊張の方向という単純な答えにはなりません。こうしたことを説明するために「ベクトル」という言葉を用いています。体を、または各部位を歪ませる力の説明としてはよく「歪力(わいりょく)」という言葉を用いますが、その歪力を構成している要素としての一つ一つの緊張が「ベクトル」という位置づけになります。

 

 ベクトルというのは、わりと手で触れて直接感じることのできるものです。体のある部位に無造作に指を置くと、必ずそれがどこかの方向に引っ張られているような感じがします。これが分からなければ、縦・横・斜めの八方向に指を滑らせてみれば、どの方向に行きやすいか(引っ張られているか)が分かります。そしてこれをさらに注意して調べてみると、それが体の表面的な方向なのか、深部への方向なのか、遠いところから引っ張られているのか、近いところで引っ張られているのかなど、いろんなことが分かってきます。そうこうしていると、引っ張っている力が「一つ」ではなく、いろいろな方向に引っ張る力が生じていることも分かってきます。ただ、こうした引っ張り合いも全てが「治すべき対象」というわけではありません。例えばある方向に強く引っ張る力が働けば、体はそれに引っ張られるままではバランスが崩れてしまうので、バランスを保つための「修正(補正)としての力」がそこに生じることになります。この場合、最初のベクトルが消失すれば、補正のためのベクトルも自然に消えることになります。つまり「歪力」として雑多なベクトルが混じっているような場合でも、その中には「施術で消す必要のないベクトル」も多く含まれているわけです。そうなると、どのベクトルを消すと全体の緊張(歪力)が消えやすいか? という観察が必要になってきます。

 

 これは「保護姿位」や「連動」の動きと、実際の緊張によって生じている主要なベクトルを絡めて考えるということです。緊張によって生じるベクトルは、それがどんなに複雑なものでも必ず一定の規則性があります(全身で効率よく緊張を保つためには必ず幾つかの機能が介在しなければならない)。これを経験的に理解することで、全身に生じている歪力の中から、施術によって解除すべきベクトル(その順序)を特定していきます。比較的健康な人が相手なら、うまく行えば「パズルを解くように」全身の歪力を効率よく解消することができます。まずは任意のベクトルを解消することで、姿勢をある程度は自在に変化させることができるというのが、大和整體の施術の入り口です(施術対象を運動器に限定した段階での必要な技術)。