三軸の関節操作 1

 

 私たちの体には意識できない「揺らぎ」があります。これには「柔らかさ」のいい意味と、「不安定さ」の悪い意味の双方が含まれるのですが、ここで問題とするのは悪い方です。私たちが自分の体を「思い通りに動かしているつもり」でも、実際はスポーツなどで分かるように、自分のイメージと実際の動きの間には大きな違いがあるものです。これにはいろいろな要素があるのですが、そのうち「訓練で解消できる要素」を取り除いて最後に残るものはと言えば、それは「関節の遊び」となります。一般的に「関節の遊び」とは、関節が壊れないように用意された「余裕」のように説明されます。しかしこれには「関節が正しい位置で機能していない場合に限って」という前提条件が付きます。

 

 どんな関節にも、その動きの中には「運動中心」が存在します。これは関節が動く時に「どこを中心に動いているか」の中心点ですが、この運動中心は理想的な体(関節)を持つ人では、基本的にどんな動きを行っても、その中心にほとんど変化はありません(関節のどんな動きも常に同じ一点を中心に起こる)。しかしたいていの人では、関節を支える靭帯や筋肉の張力バランス、骨そのものの柔軟性などから、動きによってその運動中心が変化してしまうものです。これは股関節(臼関節)のように、関節頭と関節窩がしっかりと噛み合う形状の関節をイメージして貰えば、理想的な関節ではその動きの中心が変化しないということをイメージして貰えると思います。しかし、ここで周囲の靭帯や筋群に緊張の不均衡があれば、その中心は動作のたびに変化してしまいます。前者の場合は常に同じ中心から安定して動くのですから、そこに不要な関節の遊びは必要ないのですが、後者の場合ではその不安定な動きを賄うために、ある程度の関節の遊びが必要となります。

 

 これは本当に理想的な体をしている人の関節を触れればすぐに分かることですが、そういう人では関節に無駄な遊びがほとんどありません(関節が密に締まって安定している)。その上で充分以上の柔軟性を備えているものです(靭帯や筋肉の緊張による抵抗がないため)。この「関節の遊びの有無」は、関節の動きを脳がどれだけ正しく認識できるかに関与しています。関節に無駄な遊びがないということは、関節内部の圧力が安定しており、その結果として「関節の位置感覚」が極めて正確に脳へと伝わります。しかしここに不要な遊びがあると、動きによって圧力が変化するため、その情報が安定しない不正確なものとなってしまいます。

 

 また関節に本来は不要な遊びがあるということは、関節構造自体が不安定であるということです。関節が周囲の筋肉を使って力を発揮できる上限というのは、その関節の構造的な強さ(安定度)によって決まるものですが、不要な遊びがあればあるほど、その上限は低くなります(筋力に余裕があっても関節構造によってその力を発揮できない)。つまり、不要な関節の遊びの有無は、動きの精度と発揮できる力の上限を決める大きな要因となるのです。

 

 「関節に不要な遊びを持たない人」というのは希有なケースであり、大部分の人は全身の関節に不要な遊びを多く抱えています。これを前提とした場合、私たちの体の動きというのは非常に不正確であり、かつその筋力の上限までを発揮できない状態にあります。では、どうすればこうした問題を解消することができるかとなりますが、そこで可能なのは「意図的に関節の不要な遊びを減少させる」ことです。もちろん、それによって「関節に不要な遊びを持たない人」と同程度の機能を発揮できるというわけではなく、あくまで擬似的に近い状態を作り出すだけです。これが「三軸の関節操作」の目的です。