動きの序列 1

 

 大和整體では全身の連繋を重視しますが、この連繋は大きな動きや強い力を伴う動きで強まったり、小さな力の弱い動きで弱まったりするものではありません。力の強弱に関係なく行われるべきものです。簡単には座っている状態で目の前のコーヒーカップをとるだけでも全身が連繋することが理想です。「たかがコーヒーカップをとるのに…」と思う方は、これを「仕事の時に行う単純動作」と考えて下さい。仮に同じ作業(動作)を一日中繰り返すような仕事であった場合、動作を全身で行っていれば、そこで生じる疲労は全身に分散されながら蓄積していきます。こうした疲れはいくら沢山蓄積しようが回復は早いものです。しかし、動作を手先だけの動きに頼って行ってしまえば、その疲労は局部に集中することになります。疲労が集中した局部では血液の循環が著しく滞るため、他の部位の疲労回復は早くても、その部位だけはなかなか回復しない状態となってしまいます。

 

 日常の体の動きは、それが些細な動作、大きな動作に関わりなく、常に全身で行うからこそ、日常の疲労が全身に分散され、回復も容易になるというものです。動作によって体の使い方に偏りを設けてしまうということは、結果として全身の姿勢や機能を偏らせるための悪癖にしかなりません。そこで重要となるのが大和整體で「予備動作」としている動作開始時の僅かな動きです。例えば腕を上げるという時、考えやすいのは手部→前腕部→上腕部→肩部→胸郭→腰部と、その動きが末端から順次行われる(順に上へと上がっていく)というものですが、大和整體ではどんな些細な動きであってもそれは中心、つまり「体幹部」から起こるものとします。

 

 これは「体の中心軸」と考えて貰った方が分かりやすいと思いますが、体のどんな些細な動きであれ、そこに動きが起こる場合は、必ずその動きが中心軸に反映されていることが理想です。例えばイスに座っている時に「お尻を少しずらす」という程度の動きでも、そこには中心軸を使った「全身の動き」が必要になることは誰しも経験があると思います。「体幹を動かす」という時には誰しも無意識に「体の中心軸」を動かさざるを得ないものです。しかし実際の私たちの日常動作というのは、そのほとんどが手足の動きに頼ったものであるため、手先だけを、足先だけを使って動こうとしがちです。こうなると手足の動きは体の中心軸には正しく反映されず、中心軸を要する体幹の動きと手足の動きがチグハグになってしまいがちです。そもそも体の動きは、どんな些細な動きであってもその動作を効率よく行うためには、体の重心を常に移動させる必要があります。例えば立位の状態から下ろしている腕を持ち上げる(肘を曲げる)というだけでも、そこでは体の形状の変化とともに全身の重心バランスも変化します。動作に対して、体の中心軸が重心の変化に合わせて動くことで、体の自然なバランスが保たれるのです。腕が曲がったことに対して中心軸が敏感に反応するのは自然なことで、逆に「曲げている部位以外は一切動かない」というのであれば、それは緊張によって体の中心軸を固定し、不自然な状態を維持しているということになります。

 

 私たちは日常的な緊張の持続から、誰しも無意識に体を固めてしまっているものです(保護姿位)。これが中心軸の動きを止めてしまう力として働いているために、私たちは体を動かす際に「全身を自然に動かす」ということがなかなかできません。そして、これが多くの愁訴や疾病の潜在的要因として関わっている以上、これを施術によって「動かしやすいようにしておく」ということが必要となります。ただ、その対象を「体の中心軸」としたのでは施術の対象としては曖昧になってしまうので、ここではこれを「体幹の動き」に置き換えておきます。体幹を構成する各パーツが些細な動きにも敏感に反応できるようなしなやかさを備えていること。これにより体は体幹から末端へと「正しい序列」で動くことができるようになります。