手足のシビレ

 

 手足のシビレは一般的に「神経の問題」として扱われますが、シビレにはいろいろな出方があり、必ずしも神経と絡めて難しく考える必要はないと思います。別の言い方をすれば、さまざまな機能異常が複合的に重なってシビレとなっている場合は多く、あえて扱いの難しい「神経の問題」としない方が対応しやすくなるものです。

 

 多くのシビレは「血液の循環不全」から起こることは多いものです。とはいえ、血液の循環不全がそのままシビレになるというのは稀で、たいていはその前段階に起こる「感覚異常」がそれに相当します。筋肉の動きを司る神経に充分な血液供給がされない場合、そこではさまざまな感覚異常が起こりやすくなりますが、その筆頭がシビレです。ただしそれは、患者さんが感じている感覚異常というのが、大半は「うまく言葉にできない微妙な感覚」であるため、その表現にシビレという言葉が多く用いられるのであり、私たちのイメージする「神経的な問題」によるシビレとは異なる愁訴であることが多いのだと思います。

 

 そもそも、血液の循環不全というのはいろんな要因から起こります。これは絶対的な循環量の不足を表すものではなく、あくまで相対的な循環の不足であり、他の人にとっての「充分な循環」が、ある人にとっては「不十分な循環」であることは多々あります。つまり、そこで機能が障害するほどの血液の不足は必要ではなく、あくまで局部の感覚が低下する程度に循環が不足すれば、そこで感覚異常を感じる条件は整うわけです。その上でどういう部位に感覚異常が生じやすいかといえば、それは構造的に「過剰な負荷がかかりやすい部位」や「機能(感覚)が低下しやすい部位」などとなります。前者はその負担の増大が原因となるので「プラスの負荷」、後者はその負担の低下から機能そのものが低下することによって起こる「マイナスの負荷」といえるかと思います。

 

 シビレは下肢に多く出るものですが、下肢についてはこれまで説明してきたように、膝関節より下部の「下腿を含めた足部」の機能が低下しやすいものです。本人は普通に使っているつもりでも、実際には立つ、歩くという動作のほとんどを上半身の緊張に頼っている人は多く、こうした人では日常的に下半身の循環が悪い状態にあります。血液の循環、その分布を司るのは自律神経の働きですが、自律神経は体全身を一括管理しているわけではなく、分割して管理しています。大まかには「上半身と下半身」「右半身と左半身」「体の前面と後面」などで、実際には人によってさらに細分化されて管理されている場合もあります。これは例えば「上半身と下半身」ではその血液の循環量が別々に管理されているということで、これだけでもそれぞれの感覚は大きく異なってしまいます。これに関節の機能異常などが加わり、特定の関節を境に循環が低下したりすれば、シビレを感じるのに充分な循環不全が起こることになります。ただし、これは自律神経の側でその調整を行っている限り、私たちが局部の循環を一時的に促進したところで、すぐに元に戻ってしまいます。

 

 

 私たちの体には、私たち個人の感覚に基づく誤った動き=悪癖が多く身に付いてしまっています。その結果として体を分割管理する自律神経は、その機能の重要性の順に血液を送ることになります。その結果、全身の血液循環は部位によってバラバラとなってしまうわけで、その中には「過剰な負荷に伴う強い緊張」から、特定の筋肉に充分な血液供給が行えずに感覚異常が起こることもありますし、また重要性の低さからもともと充分な血液が供給されず、感覚異常が起こりやすい部分も生まれてしまいます。しかし、どちらにせよそれは「その人の体の使い方」の延長で起こる感覚異常であり、その人の体の使い方が正されない限り(正されずとも変化するだけでもよい)、その循環そのものに変化は起こりません。

 

 個人的には、事故やケガなどを覗けば「神経の異常」などという突飛なことは、日常生活の中ではなかなか起こり得ないと思います。それよりもこうした悪癖によって循環の均一性が薄れ、これが助長された結果として神経の働きに異常が生じると考える方が自然だと思います(これを改善してなおシビレが残る場合は神経の損傷などを疑えばいい)。そして「循環の問題」というのは、それが比較的改善しやすい問題であると認識されていることに大きな誤りがあるのだと思います。循環の量そのものは温め続けたり、刺激を加えるなどで改善できる問題ですが、自律神経の働きによって決められてしまう体の部位ごとの「循環量の違い」というのは、なかなか変えられないものです。

 

 自律神経による全身を分割しての血液循環の管理は、体に不具合が多い人(機能的に多くの問題を抱えている人)ほど、その分割が細かくなっていきます。逆に健康な人ではその分割が少なく、かつ分割されていても各部位ごとでの循環量の違いは僅かなものです。よって大和整體ではシビレそのものを早期に解消しようとするよりは、まずこうした自律神経の分割をより抑制していくことで、循環の差をなくしていくことを優先していきます。これは自律神経レベルでその機能的な繋がり(連繋)が分断されている部位を、機能的に整えることで本来の状態に戻すということです(循環そのものを扱うのではなく機能が整った結果として循環も整うと考える)。

 

 これは言い換えれば「大和整體はシビレに対して有効な施術方法を持っていない」と言っているようなものですが、シビレ(ここでは感覚異常の結果とする)に到るまでの循環の差というのは、それ自体が大きな問題です。シビレという愁訴より、そこに到るまで身体機能のバランスが崩れてしまっているということが問題なわけで、その背景には内臓の機能異常や、脳神経の誤作動など、さまざまな問題が隠れていると考えるのです。これは言い換えれば「シビレ程度で済んでいるうちに機能を改善しなければいけない」ということです。実際には神経(その経路)に直接の問題が起こり、神経の異常によるシビレが起こっているケースも多くありますが、そうした場合でも「その状態に到るまでの機能バランスの崩れ」が重要であると考え、やはり直接にシビレを改善しようとするのではなく、機能的な改善による「患部の負担の軽減」を優先していきます。