手部の痛み

 

 手部の痛みは最も厄介な愁訴のうちの一つです。その理由は手部が他の部位に比べて著しく強く大きな捻れを有していることにあります。体の歪みはそれが末端に達した時点で最も大きくなるので、手部や足部ではより顕著になります。しかし足部は「接地」という役割を担っているため、これが足部の大きな歪みの抑止力となります(日常的に接地を繰り返している限り無制限に歪むことはできない)。これに対して手部ではそうした抑止力が働かないため、好きに歪むことができます。その歪みは前腕の橈尺骨や手根骨、指骨などの多くの関節でうまく吸収(代償作用によって結果的に打ち消されたように見える)されてしまうためにほとんど自覚することはありません。

 

 体(関節)の歪みは、それが大きくなると日常動作に支障をきたしてしまうため、一定の段階で反対の動き(代償作用)によって打ち消されてしまいます。この点で手部のように細かい関節が多い部位では相当量の歪みを代償作用によって打ち消すことができるため、その内部には膨大な「歪力」が蓄積されているといえます。これは小さい骨の集まりである「手根部」でより顕著になり、そのために手根部が固く動かないという人が大多数をしめます(手根部が固いものという先入観が生じやすくなっている)。

 

 これは「感覚を戻す」で説明した話ですが、体は緊張や歪みなどによって動きが複雑になった部位については、その部位を固めることで動作を単純化しようとします。捻れによって動きが複雑化している手部では、特に手根部でその傾向が強く、複雑な捻れを抱えたまま固まっているものです。これは手根部がその中に膨大かつ安定した歪力を有しているということであり、その歪力は手根部から指先へ、手根部から肘へと伝わっていきます(これが肩関節の捻れに繋がることはすでに説明しました)。指先への捻れは多くの関節でさらに代償できるので、その動きには僅かながら余裕が残りやすいのですが、肘の方向で手根関節と接するのは橈尺骨(双方の間に起こる動き)と肘関節であり、その歪力の多くは前腕部(特に遠位端)に集中します(これには前腕の遠位側が筋肉ではなく腱で構成されていることも関係します)。つまり、たいていの人では手根部と前腕の遠位端は固まってほとんど動かない状態にあるのが普通で、手部のあらゆる動きは残った関節の機能で補わなければいけないということです。手部に関する痛みの原因の多くはこの不自然な動きの継続にあります。

 

 こうした状態はいわば「手指と前腕の連繋が途切れている状態」であり、これでは日常の手指の動きは前腕全体の筋群の補助を得ることができず、可能な範囲の一部筋肉の補助のみで動かさなければならなくなります。手指でいろいろな動作を行うには圧倒的にその力が足りません。体は動作に必要な力が足りなければ、その動きに「捻り」を加えて力を増そうとするので、手部でも同じことが起こります。つまり無意識に手関節に捻りを加えて強い力を発揮しようとするのです。この時、手関節は全身の動きの中で「強い支点」として作用し、そのために全身の動きは手部という支点によって強く動きの制限を受けている状態となります。よくスポーツや習い事をすると「手先だけでやろうとするな」という指導が多いものですが、その背景にあるのはこうした手部を使う際の悪癖です。ただでさえ正しく力の入らない状態にある手部に、全身の動作の支点としてさらなる負担をかけてしまうことから、手部の故障が起こりやすくなります。

 

 

 話は変わりますが、人は日常での自分の体の制御を、体のどこかを固めて行っているものです。緊張から体に生じる支点とは本来不要なものですが、いったんそれができてしまえば、支点を中心として全身の動きを構築すればよいという「体の動きの目安(基準点)」となります。私たちの体の動きは主に「手足を動かすこと」ですから、この点で手首に支点があるという状態は、姿勢や体の動きの制御を容易にします。こうなってしまえば、体にとって「手部の支点」は重要な意味を持ち、日常生活を行う上での必須の緊張となってしまいます。それ故に全身の重要な支点となっている手部の緊張というのは、施術によって簡単に解除できるようなものではないことが普通です。

 

 また、同時に手部(特に手指)というのはとても敏感かつ繊細な部位です。よく「手は脳の働きを表している」と言われますが、実際に手部の状態は脳の働きと密接に関係しています。前述の「体の捻れが手指で強まる」という話を抜きにしても、脳の活動(興奮状態)が手部に顕著に現れるというだけで、手部には相応の緊張と、それに伴う捻れが生じてしまうものです。ただ、こうしたことを逆手にとれば、逆に手部を操作することで脳の働きを調整することができるとも言うことができます。手部は単純に運動器として扱うべき部位ではなく、脳との関連を意識しつつ扱わなければならない、取り扱いの難しい部位です(ただし施術者がそこに脳の働きとの関与を感じ取っている限り繊細な部位として反応する)。昔はよく、手指への施術を禁忌としている療法もありましたが、それには単純に運動器としての扱いの難しさに加えて、こうした理由もあったのだと思います。

 

 このように扱いの難しい手部を施術でどう扱うかについては、大和整體ではその施術対象をまず「肘関節や前腕」とすることで対応します。手部に膨大な歪力が蓄積されているといっても、そこにはそれを維持するための仕組みも存在します。つまり手首を固め続けるための仕組みですが、これは手部自体が行うというよりは、主に周囲の助力によって成立します。簡単に言えば手部にそれだけの力を維持するためには、まず上肢全体に相応の力を入れ続けることが必須であり、その働きの筆頭になるのが「脇を締める」という動きです。誰しも全身に一定の緊張を保つためには、無意識に、僅かですが脇を締める動作を行って上肢の緊張を維持しているものです。この動作に関与している筋群の緊張を消失させてしまうと、上肢は途端に力が入らなくなり、手部も安定して固まっていることができなくなります。

 

 また前腕の橈尺骨は、本来は互いが柔軟かつ自由に動く、それぞれが独立した動きを有しているものですが、手部が支点になっている状態ではここの動きがほぼ固着しています(それぞれが独立した回転運動を行うことができない状態にある)。橈尺骨間の動きというのは軽視されがちですが、複雑な動作を担う手部において、そこで生じた力が手部に集中しないよう外へと逃がすのは、主にこの橈尺骨の回転の動きです(橈尺骨が僅かにずれあって動くことで相当量の力を逃がすことができる)。この動きが損なわれてしまうと、手部の動きに関する負担は飛躍的に増大してしまいます。

 

 手部はその蓄積している歪力の量、また脳との密接な関連を考慮すれば、闇雲に力で解除すればいい対象とは言えないので、まずはその蓄積している歪力そのものを減少させ、扱いやすい状態になってから施術を行うべき部位です。またその動きは「本来の正しい動き」からは複雑かつ大幅に逸脱しているのが普通なので、それを正常に戻すには相応の時間が必要となります。しかし、手部の機能を時間をかけて丁寧に整えていくことは、同時に脳の働きをより正常化していくことにも繋がるので、手間と時間をかける価値のある部位だといえます。