頭を守るバランス

 

 私たちの日常では起きている間中、「考える」ということが当たり前になっています。何をするにも考えて行動する、これを「頭部(脳)主体の生活」であるとすれば、逆に慣れた日常動作など、無意識に行われる動きを「腹部(小腸)主体の生活」とは「頭で考えない(肚で考える)」としておきます。私たちの生活は、いつも考えて行動しているようでいて、実際は無意識に動いていることが多いものです。これが昔の単純な生活ならば、考えて動くということは非常に少なく、その結果として「腹部中心」の生活が成り立ちやすかったのですが、現代のように常に何かしらの判断を迫られるような生活では、「頭部中心」であることが多くなります。その結果として、本来は無意識に「肚」の感覚で行ってきたことも頭の思考に頼ることが多くなり、常に頭を働かせているという不自然な体の使い方に慣れてしまっています(体の意識の中心が頭となりやすい)。

 

 頭部中心による体の動きでは、「考える」ことと「頭を守る」ことは一致しています。考えること(緊張の第一段階)によって頭部に血液が集中し、その結果として体の重心が高くなると共に、体への意識が頭部に集中すれば、頭部は自然と「守るべき重要部位」となります(人は自身の意識の強い部位を優先的に守る)。こうした感覚の中で日常生活を続けることで「頭を守りつつ体を動かす」という体の動かし方が訓練されると、次第に頭部は動かすことなく、頭部を除いた「体部」のみで体を動かそうとする悪癖が身に付くようになります。この時、全身は頭部を動かさない(守る)ために全身に強い緊張を維持し続けなければならず、これが交感神経の過剰な働きを引き起こすことになります。この交感神経の過剰な働きは、相対的に副交感神経の働きを抑制することになるので、内臓系の機能が低下して結果的に「体壁系優位の身体感覚」をつくります。この時点で内臓の感覚は希薄となり、内臓の状態を無視した運動器主体の体の動きが構築されることになります。そして頭部を守るために必要な緊張は、それを支える体幹部の緊張でもあるので内臓を含めた体幹部に大きな抑制がかかることになります。この時点で体は「内臓から自然に動く」ことができなくなる上に、体幹部が自由に動かないことから、その動きを残った四肢に頼らざるを得なくなります。動きの負担が四肢に集中すれば、それは体幹と四肢を繋ぐ「股関節や肩関節」により集まることになるので、その結果として腰痛や肩こりに悩まされやすくなります(肩こりには頭部を守るための緊張も関与)。

 

 また、頭部を守ることを前提とした体では、体が後方へバランスを崩すことを極度に嫌います(後ろに倒れた場合は頭部を保護できない=倒れるなら前へ)。そのため全身に常に「前重心」を保っておく必要があり、これを前提とした姿勢が構築されることになります(どんな姿勢の崩れも必ず前重心を基本とする)。これは本来、全方向への(ある程度の)自由な動きを持っていた体が、その動きを前方に収束させてしまうことに繋がるため、体の動きの大きな制約となります。これは伸展・外転・外旋といった「開く」種類の動きが抑制され、相対的に屈曲・内転・内旋といった「閉じる」種類の動きが強まるということです。こうした動きの偏りを正すためには「頭と体の分離」を解消する必要があり、その方法は「頭部の働きを弱める」か、「体の働きを強める」ことで、双方に生じている緊張を均一にすることです。ただ、現実的には頭部の働きを弱めるだけでそれを実現することは難しいので、「体の働きを強める」ことによって相対的に「頭部の働きを弱める」ようにしていきます。この体の働きの中枢に位置するのが「肚」であり、頭部を除いた全身への施術の目的は、この肚が正しく機能することに尽きます。これは運動器を主体とした施術であれば「下半身の機能を高める」と置き換えることもできます(これに上半身の機能を合わせていく)。肚を中心として体の機能が強まると、相対的に頭で過剰に強まっていた機能が抑制され、その結果として両者の関係が対等になっていきます。最終的には全身が均等な状態がある程度持続することで、ある瞬間にそれまでの「頭部を守る」という感覚がリセットされることになります。