身体機能の均一性

 

 「体を治す」ということと、「体を整える」ということは大きく意味が違います。治すというのは体の中で「悪い処」を見つけ、それを消し去っていく作業に終止するのですが、整えるというのは先々まで見据えれば体の諸機能を均一化し、かつ統合することとなります。運動器なら全身で筋肉の張力が均一となり、関節の張力・柔軟性も均一となるということです。内臓なら各臓器の活動状態が均一になること。血管なら全身でその張力と循環の程度が均一になるということです。仮にこうした状態を実現できれば、その時の体は脳にとって非常に管理のしやすい対象となり、「正しく使う」ことも難しいことではなくなります。これに対して私たちの体では、こうした機能の均一性や統合が損なわれているわけで、いわば「諸機能が乱れた状態」にあります。

 

 誰しも優れた施術を受けると「体が楽になった」と感じるものです。誰しもこうした感覚を正しいと思いがちなのですが、上述の「各組織の均一性とその統合」の条件が揃うと、その時に「楽」という感覚は存在しません。体のどこかを「楽に感じる」ということは、相対的に「楽ではない部分」があるということになります。正しくは「施術によって他より楽に感じるようになった」わけで、施術を受けていないその他の部位では、受けた部位より機能が停滞していることになります。この差が「楽」なわけで、仮に「各組織の均一性とその統合」の条件が揃うと、受け手の感覚はそこに楽も苦もない「普通」という感覚となります。体の中に機能的な差異がないのですから、何かを感じる比較対象も存在しないわけで、その結果として「普通=特に何も感じない」となるのです。ただし、この「各組織の均一性とその統合」はあくまでその人のその状況なりに得られるものであり、理想的な健康体という意味ではありません(その人の現状なりに理想的な状態)。

 

 こうした体を施術によって実現するのは簡単なことではありませんが、まずは施術によって目指すべき理想の状態(体の本来あるべき状態)を定めておくことには大きな意味があると思います。そしてこれを実現するには、運動器に限らず内臓を含めた多くの組織を対象とする必要があります。手技療法の施術はとかくその対象を運動器に限定したがる傾向があるように思うのですが、大和整體では運動器も内臓も対等に扱います(基本の段階では「運動器>内臓」として先々は「運動器<内臓」としていきます)。また血管や神経(その活動)、各種膜組織など、体組織の全てがその対象となるわけで、それら全てが統合した結果として先の「各組織の均一性とその統合」があるわけです。とはいえ、こうした変化にも段階があるので、ここに至れば「何でも治る」というわけではありません。重篤な疾病などを扱うとなれば、より深い体の活動レベルでの「各組織の均一性とその統合」が必要となります。先の長い話に聞こえると思いますが、本来の整体とはそこまでを扱うための療法なのだと思います