体の機能と感覚

 

 私たちの体は運動器にせよ内臓にせよ、そこに大きな機能的な誤りを抱えてるものですが、そもそもそうした機能的な誤りというのは、感覚の誤りから生じるものです。体は自身の状態を正しく感じることができればこそ「正しく使う」ことができます。この「感じる」の段階で誤りが生じてしまえば、そこから起こる動きが正しく行われるわけもありません。しかし私たちの体にいろいろな「癖」がある以上、そこに感覚の偏りは生じてしまうものです。ある部位の機能障害の背景に感覚の低下がある場合、単純に機能を正すだけでは改善が期待できないわけで、そこには「感覚を正常化させる施術」も必要となってきます。

 

 感覚の偏りというのは、全身が機能する上での「その部位の重要性」が関わってきます。例えば昔に右足首を骨折し、ひどい痛みに苦しんだ経験がある人では、その部位を庇いこそすれ、率先して使うことはあり得ません。その部位を使うことに無意識の恐怖感が刻まれているからです。また料理人が包丁の扱いに長い鍛錬を積んだ場合、利き手とそうでない手の「訓練度(神経連絡の発達度)」には大きな違いが生じてしまいます(その違いが関連する内臓に反映される)。こう考えると誰にも感覚の偏りが多く存在し、中には上述のように根深いものも少なくありません。

 

 感覚の正常化というと、扱いの難しい対象に聞こえると思うのですが、基本の施術の段階ではこれを「血液の循環の程度」に置き換えて扱っていきます。つまり血液の循環が充実している部位では神経活動も活性化し、乏しい部位では神経活動も低下しているということです。ただしここでの血液循環というのは、日常的な「交感神経優位な状態の血液循環」ではなく、副交感神経優位によって起こる「毛細血管レベルの血液循環の充実」となります。これは筋肉への施術で一定の条件を揃えれば比較的簡単に実現できることで、簡単にはその部位一帯で筋肉の張力を均一にすればよいとなります。血管の多くは筋肉の中を走っているわけで、血管の働きはその筋肉の張力に大きな影響を受けています。そこで血液の循環が損なわれているということは、その一帯にある筋肉に張力の差(不均衡)が生じているということであり、これを正すことで結果的に上述のような「毛細血管レベルの血液循環の充実」が得られることになります。

 

 運動器や内臓の機能異常の多くは、この循環に伴う神経活動の回復によって改善してしまうものも多くあります。これは優先順位の問題で、機能異常の原因が「感覚の低下」であった場合は、機能低下を正すことに大きな意味はなく、原因である感覚の低下を正せばそれで機能も回復するということです。それでも機能が充分に回復しない場合は、改めて直接的な機能の回復を図ればいいわけです。ただ、感覚の低下が著しい、または長期化してしまっているような場合では、一時的に感覚を回復させてもその状態を維持できなかったり、正しい使い方に戻らないこともあります。これは本来、脳の側に蓄積されているべき「正しい動きの記憶」が損なわれているということで、そうした場合は感覚の回復とともに、正しい動きを施術によって植え付けていく必要が生じます。